俺なりのミステリー・トレイン

13分遅れで到着した電車は、帰路につく通勤客でごった返していた。ほとんど人が降りず乗車率の減らない車両内に巨体を捩じ込む。申し訳ない。そうは思いつつも仕方がない。だから、私は二割増しのすまなそうな表情で吊り革に手を伸ばす。

 

電車に揺られて数分ほどで次の駅に到着する。プラットフォームには、この満員の車両にはおよそ収容しきれないほどの人々が列を成して待機している。しかし、私の不安をよそに多くの人が電車を降りたので、待っていた人たちはぴったり車両に収まった。これがプラスマイナスゼロというやつか。日常生活に数学的(数学的?)要素が不意に飛び込んでくるのは、ちょっとしたアハ体験のようで興奮する。解の変わらぬ長い長い数式は、再びガタンゴトンと動き出す。

 

ずいぶん長い時間ガタンゴトンと走っているようだが、なかなか次の駅に着かない。どうやら前をゆく鈍行列車に合わせて、速度を緩めたりしながら進んでいるらしい。大して面白いネット記事も見当たらずスマートフォンから顔を上げると、目の前にカンカン帽を被った青年が扉にもたれかかるようにして立っていた。おお、あれは、ずいぶん昔に流行っていたような。最近めっきり見なくなった気がしていたので、学生時代の友人に久々にばったり出くわしたような趣を感じてしまう。気になって調べてみると、なんと2021年7月の記事に『夏のトレンド《カンカン帽》コーデ』とあり、面食らう。え、去年もカンカン帽、トレンドだったのか。それにしては見かけた記憶がない。わりと街中に住んでいるつもりだったのだが、所詮は地方都市ということか、と妙に悔しくなる。にしても、その彼はトレンドを取り入れるという形でカンカン帽を被っていたのだろうか。服はというとシンプルな黒一色の開襟シャツにグレーの長ズボンという出立ちで、似合っているようにもそうでないようにも見えた。ただ、流行していようがいまいが、夏の装いとしてカンカン帽は少なくとも適切であることに疑う余地はなく、何もおかしくはないのであった。そのことに気づかせてくれたお礼を言うべきかと逡巡している間に電車は停まり、彼はその駅で降りていった。

 

車内アナウンスが流れる。

「〇〇駅でお客さまがホームから転落し、その救出作業のため、電車は13分遅れで運行しております。お客様におかれましては、お急ぎ、またお疲れのところ大変ご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解ご容赦のほどお願い申し上げます。」

そう言われてみれば、確かに自分は疲れているのかもしれないと気づく。仕事に、人間関係に、或いは加齢による身体的/精神的な衰えに。お急ぎに対しては確かに迷惑被っているが、いまや日本の電車は乗客の疲労具合にまで気を遣ってくれているのか。一億総お疲れ社会だものなあ、ホームから転落したお客様は明日の私かもしれない。だが、私のお疲れにまで責任を感じてくれるな、私の疲れは私がすべて引き受けるのだ。

 

立っている斜め向かいの席が空いたが、正面にいた男性がサッと座った。これはまあ、当然のことで、仕方がない。と思いきや、すぐに立ち上がった。何やら隣の女性に席を譲ろうとしているらしい。しかし、女性も咄嗟に遠慮してしまった。男性も立ち上がってしまった手前、もう座ることはできない。彼らの目の前には空席がひとつ、ぽつねんと取り残されている。側から見ればそのとおりなのだが、私にははっきりと、その席に「通じ合わなかった思いやり」が鎮座しているのが見えていて、そのことに静かに感動していた。きっと男性は断られてしまうことなど念頭になく善意で行動し、女性はまさか男性が立ち尽くしてしまうとは予想だにせず、ただ断ったのだろう。一部始終を見届けた私には、そのお尻の遣り場のなさや申し訳なさが痛いほどに伝わってくる。そして、この事象を知ってしまった私は、これまでにも幾度となく見てきた、電車の「不自然な空席」を思い起こさずにはいられない。今、あの瞬間瞬間を振り返ると、空席たちがなんと雄弁に語りかけてくることか。ここに、通じ合えなかった優しさや思いやりの残滓が確かにあるんですよ、と、声なき声が今なら聞こえる。次の駅で女性は電車を降りていった。一駅で降りるから、ということでもあったのだろう。実に理にかなった、真心からの遠慮だったのだ。男性はそれでもやはり、どこか居心地悪そうな面持ちではあったが、目の前の空席に腰をおろした。あなたは間違っていないよと彼の肩を叩く代わりに、私はこの後最寄駅の改札でタッチするだろうIC乗車券の心許ない残高に想いを馳せている。

あの日、二人は夏のイデアでした

その日偶然二人の姿をみとめたA女史は、彼らの様子をそう回想した。通りに面した喫茶店に入った時には気持ちよく晴れていた京都の空にはしばらくすると重く雲が立ち込め、真夏の通り雨が広いガラス窓を激しく叩いていたが、それもいつの間にかぱったり止み、今は雲間から薄く日差しが漏れている。窓の庇から水滴が、眠りにおちる時の心拍数のようなリズムで滴り落ちる。ほとんど手をつけられないまま所在なげにテーブルの上で横たわっている、すっかり冷めてしまったA女史の“ホット”サンド(だったもの)を見つめながら、僕はその月曜日を反芻していた。

確かにあの日、二人は夏のイデアだったのだ。
空に塗りたくられた目も眩むような青も、やけにくっきりとしたテクスチャーをもって立ち昇る入道雲も、湿った風に運ばれてきた草いきれも、なびくプリーツスカートの陰影も、気が抜けてぬるくなった500mlの缶ビールも、すべてがその日の二人の為にあった。正確には、そう錯覚させるだけの“なにか”があった。恐らくその“なにか”を感じ取ったのは、彼も彼女も同じだったのではないかと思う。ただ実体を持たないそれは、彼にとっては目映いばかりの未来を照らすような光であったのに対し、彼女にとっては不規則に明滅するネオンライトのようなどこか頼りない光だったのかもしれない。少なくとも彼は丸半日に渡る長く短い祭の中に、一瞬の永遠を見出してしまったのである。よく知られた作品タイトルの言葉を拝借すれば、彼女こそが「100パーセントの女の子」だと確信させられたのだ。尤も、二人が出会ったのは七月のある土砂降りの夜だったのだけれど。
出逢ってたかだか二、三週間の相手にそこまで熱を上げるだなんて惚れっぽいにも程がある、と冷や水を浴びせることは簡単だが、恋の渦中で火達磨になっている相手には焼け石もとい焼死体に水だ。ましてやその日二人と初対面であったA女史をして、そこに流れていた空気を「あまやか」と表現するのならば、それもまたむべなるかな、当然の帰結であるように思える。

そして(人の数だけある真実とは異なり、実際に起こった現象としての)事実、彼女も彼に好意を寄せてしまったのである。彼女は「“だから”もう会えない」と彼に告げたという。およそ理解に苦しむ展開に彼もまた、その瞬間思考のヒューズが飛んだらしく、その後のことはよく覚えていない。
言葉と気持ちは裏腹で、本当のところはどうだったのかわからないよという友人もいたが、そんなことを言い出せばキリがないし、第一言葉以上に人の気持ちのよすがとなり得るものがあるだろうか。否、友人の言うとおり、その場限りの浮ついた科白として捉えられていたならまだ良かったのかもしれない。しかし(彼から見た・彼が一方的に感じ取った・彼が愛した)彼女の真摯さや真面目さがそれを許さなかった。やがて言葉は(彼女が意図せぬ形で)呪いとなり、彼を蝕んでいった。その後の彼がどこでどうしているのか、僕は知らない。

A女史との邂逅から約ひと月が経ち、窓を開けて眠ればうっかり寝冷えしかねないほどに涼しくなった。また夏が死んだのだ。
先日、ベランダで事切れた蝉を近所の公園に埋めに行った。蒸し暑い真夜中、寄ってくる蚊を気にしながらビールなり缶コーヒーなりを片手に二人が過ごした場所で、一番幹が太そうな樹の根元に穴を掘りながら、これは夏の埋葬だと思った。
結果だけ見ればいつものよくある失恋なのだ。それでも、前を向くとか立ち直るとかそういうことができそうになかった僕は、“彼”に死んでもらうことにした。遺影はあの夏の日に撮られた一枚の写真ということにしよう。夏の陽射しに細い目をさらに細めて缶ビールを飲む彼の表情は、泣いているようにも笑っているようにも見える。

一度イデアになってしまった人間を忘れることはできない。また次の夏が来ればきっと、僕は彼のことを思い出すだろう。だから、昔死んでしまった友人を偲ぶようにふと思いを馳せ続けることぐらいは、赦してもらえるといくらか救われるのだけれど。

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わかりあえなさについて語るときに我々の語ること

書きたい文章が書きたいように書けなくなって久しい。言葉と言葉がつながらない。最適な単語が見つからない。果ては文章の行先を見失う。相関関係があるのかどうかはわからないが、文章が組み立てられないと話し言葉もうまく出てこなくなるようで、最近ふいに吃ってしまうことが儘あってビックリしつつ困っている。
或いは、今まで自分が言語化してこなかったことを語ろうと(若しくは書き表そうと)している最中なのかもしれない。その様はさながら言葉の海を泳ぐ、というより溺れ踠いていると言ったほうが正確なような気がしないでもないのだけれど。

令和元年も終わりゆく今という時代を生きる身において、自らを通過してゆくあらゆる物事は変化に晒されている。文化も社会も情報も(いずれも個人として逃れる術のないものだ)目まぐるしく変わってゆくし、望むと望まざるとに関わらずそれらを日々浴び続けている僕たちも、自身の生活や環境や思想の形を(概ね“生きやすい”ように)変化させ続けている。「最適化している」と言ってもいいかもしれない。
言うなれば、例えば半年前の自分と現在の自分を比べてみてたときに、生活や環境や思想が全く異なっているとしても何らおかしくはないということである。そして、常に「現在」からの視点しか持ち得ない僕たちは、過去の自分を振り返って「よくあんな環境で生活していたな」「どうしてあの時あんなことを考えていたのだろう」と訝しんだりする。自分自身のことですらそうなのだから、それが他人同士なら、と考えると軽く絶望してしまう。方眼用紙ならたった四マスのスペースに収まってしまう「相互理解」というものは、その簡潔さとは裏腹にひどく難儀なものに思えて仕方がない。

長年にわたり我が恋と冒険を見届けてくれている友人によると、僕はどうにも「属性の遠そうな人」を好きになりがちなのだと言う。個人的にはむしろ友達のような関係性の人が理想的だと思っていて、あまりそんな意識はなかったのだけれど、思い返してみれば確かに(成就したか否かに関わらず)これまで好きになった相手は、むしろそこまでしっかり共通の趣味や話題がある人たちではなかったかもしれない。そして、本質的にわりと重度の恋愛体質であるはずの我が身を振り返ると、人に恋愛感情としての好意を抱くきっかけは、相手に対しての「わからなさ」と、それに対する「わかりたい」という強い欲求なのではないか、というところに思い当たったのであった。
友達になれば自ずと相手のことをだんだん知っていくことができる。勿論、相手との親密度合いや所属するクラスタによって、同じ“友達”というカテゴリでも相手に開示できる情報の密度や種類は変わってくる。趣味の友達とは趣味の話を、学生時代の友人とは当時の思い出話を、といった具合に。だけど、同じ時間を過ごしていても人となりやパーソナルな情報がなかなかわからない人が、時々いる。そこまで仲良くないのなら当然のことだが、幾度となく顔を合わせていてSNSも繋がっているのに、年上か年下かも知らない人がいる。ふらっと一緒にライブに行き、帰りには軽くお酒を飲み交わしたりできるのに、名字さえもわからない人がいる。SNSの普及は匿名性とプライバシーの境目を溶かしたけれど、実生活においても相手のパーソナリティを知らないままに人付き合いを深めることへの抵抗や違和感をも融解させていったのかもしれない。

脱線した話をレールに戻す。仲の良さと相手に対する知識量が必ずしも比例しない現代に僕たちは生きている。よく知らないままに仲良くなった相手については、邂逅の中で自然な速度で相手を徐々に知っていくしかない。その速度を加速させるのが相手への興味である。わからなくても仲良くいられる相手についてわかりたい。好きな動物はなんだろう。どちらの脚から靴を履くんだろう。家の本棚にはどんな本が並んでいるんだろう。
ミステリアスな人が好きだという人がいる。僕のこうした堂々巡りもある意味ではそうなのかもしれないけれど、秘密が多い人が好きと言うわけではない。僕が知りたいのは意図して隠されていることではなくほんの些細なことでしかなくて、わかりたいのはきっと理由なんてないどうでもいいことなのだ。いつか自然な速度で知れるのかもしれないことを、ただただ知りたくわかりたくなってしまう。
どんなに仲が良い人でも、その人の全てを知ることはできないし、その人のすべてをわかることはもっと難しい。だけどそのわからなさこそが、人と人を結びつける媒介になる。だからこそどんなに言葉を尽しても伝わらないことを、どれだけ疲弊しても必死になって言葉を尽して伝えあう。辛さに時々目を瞑りながらも直視する。面倒くささを乗り越えて辿り着ける場所に想いを馳せる。

こうした無間地獄に身を置いていたら、小袋成彬が年末に『piercing』をリリースした。アルバム中盤に差し掛かる手前の「Turn Back」→「Bye」の流れに打ち震えている。Turn BackとシームレスにつながるByeは男女混声コーラスで、こう歌い出される。

わかりあえばわかりあうほど
わからないことばかり
僕はいつも僕らしさを
君に預けてばかり

親友とも恋人とも、僕たちは永遠にわかりあえない。だけど、わかりあえないことをわかりあえている僕たちは、相手を思いやることができる。それは例えば、楽しい時間を過ごしたあと各々の家路に着く時に、互いに手を振り小さくなる背中を見届けることだったりする。夜に溶けてゆくその姿を見送りながら僕は、わかりあえないことは遠ざかることじゃないよな、と小さく信じなおす。

でもいいや
さよならが言えるだけ
幸せよ
幸せよ

Turn Back

Turn Back

夜汽車は永い言い訳を載せて

思えば、長い長い夢を見ていたような気がする。

説明するのも鬱屈になるような心持ちで三月に仕事を辞め、五ヶ月ほど社会のレールから外れてふらふらと彷徨い歩いていた。きちんと線路沿いを歩いている分、死体を探す四人の少年たちのほうがまだまともだ。
目的地まで素晴らしい速さで辿り着ける電車道のほうが、齢二十六の人間がゆくべき道として真っ当なのだろう。しかし(些かの負け惜しみを孕みつつも)この夏で目にしたいろいろな景色は、この遅々とした歩みだからこそ出逢えたものであったと僕は信じている。

去年の夏が自分を取り巻く環境の変化をもたらした夏だったとすれば、今年は自分の身の周りでさまざまな変化が起こった夏だと言える。友人の独立開業、幾年をかけて成就した恋、敬愛する先輩の結婚など。それぞれがそれぞれに、レールのポイントを切り替えたり、火室に石炭を焚べたり、或いは新たな目的地へと続く枕木を敷いたりしている。乗客席からはじっくり見つめることのなかったはずの景色を目の当たりにして、僕は少しだけ得をした気分になっている。
そうした転換期を迎えた人は一部であるが、そうでない友人たちも相変わらず忙しなくそのエネルギーを燃やして走り続けていて、時折そこにも無賃乗車させてもらっていた。やりたいことや行きたい場所に注ぐ熱量が大きい人々には、圧倒されつつも妙な頼もしさを感じる。きっとスピードの出し過ぎで脱線することなど考えもしていないのだろう。脱線してもなんとかなると思っていて、その“なんとかなる”には根拠不明の説得力がある。

僕はと言えば、久々にしっかり本を読むようになった。活字に向き合えば向き合うほど、読書という行為のハードさに気づく。作者の頭の中で構築された世界に文字という媒体を通して没入することは、こんなにも体力がいることだったのか。そして、こんなにも気持ちのいいものだったのか。昔のように日夜を問わず読み耽ることは困難になったが、それでもふと没入感から我に帰る瞬間に読書の悦びを覚え、なんとなくリハビリできている実感が得られて、それにもまた嬉しくなったりしている。
また、家族をもう少し大事にしたいとも思うようになった。ずっと元気だった祖父が心なしか弱っているのを、盆に帰省した時に感じたのだった。身体のほうはまだしっかりしているのだが、一方的に堂々巡りの話を続ける姿に濃くなりつつある“老い”の影を見てしまったようで、少なからずショックを受けた。思えば比較的若く見える父母も近く還暦を控えていて、親元を離れた僕はあとどのくらいの時間をこの人たちと過ごせるのだろう。祖父母が四人健在で、二、三年前に曽祖母が一〇六歳で大往生を遂げた長寿家系のためあまりそういったことに思いを巡らせたことがなかったので、とても印象深い盆であった。

高校野球は準々決勝を控え、夏は終盤に差し掛かろうとしている。僕は漫ろ歩きを終えて汽車に乗り込むところだ。秋の訪れを感じるにはまだ早い。長い長い夢から醒めるには、処暑の陽射しは充分すぎるほどに眩しい。

夏になると僕は

随分と更新が滞ったが、直近のブログの内容的になんとなく「あぁ、これが平成最後のブログだったんだな」みたいな雰囲気が出せたのでセーフとしておく。させておくれ。

心を亡くすと「忙」しい、なんてこじつけめいた、巧く言ってやった風な言葉があるが、最近は心そのものが忙しかったような気がする。
やりたいこととできないこと、求められていることとそうでないこと。それら両極の間は遠く隔たっていて、座標の極点と極点の間を僕は動点Pが如く浮き沈みしながら漂っている。不安定さに包まれた所在無げなこの感覚は、宇宙を遊泳しているようで不思議と心地良い。命綱の絶たれた宇宙飛行士たる僕は、母なる地球を眺めてなんとか正気を保とうとしている。

5ヶ月空くだけでどのように更新していたのか迷子になってしまう程度には、ブログというものは難しい。
直近のことを書こうと思い至るのは映画『愛がなんだ』を観たことだ。作品を鑑賞する前にある程度の酒を煽っていたこともあってか、序盤30分でまあまあ吐きそうになった。
「愛がなんだ」という捨てゼリフのような言葉を吐くには「愛とはなんだ」という問いへの答えを求めなければならないのだが、有史より多くのホモ・サピエンスが直面してきた命題は、どうやら令和を迎えた今日に至るまで解決を迎えてはいないらしい。男と女、男と男、女と女、エトセトラ。情愛というものが多様化を極めた現代において、一つの解を見出すということは半ば不可能に近いのかもしれない。それでも、人々は各々の関係性において最も解と呼ぶにふさわしい結論を求め七転八倒する。その過程にこそ「愛」という名をつけて愛で育んでいくべきものなんじゃないか。結論めいたことを宣うわりに、僕だって聞きたい。どうして皆そんなにも容易く誰かを「好き」とか「愛してる」とか認められるのだろう。いや、きっと本当はもっと単純な気持ちの動きなのだ。それを勝手に、ややこしく捏ねくり回して手垢をつけまくって汚してしまっているのは自分自身だ。

考えても埒の明かないこととカレーは寝かすに限る。最近久々にキーマカレーを作って気づいたが、どうにも手際が良くなっている気がする。今日はオムライスを作ってみたのだが、これまた初めてにしてはそれなりに形になっている。愛憎込めて「ブス飯」なる名をつけていた自炊料理が、そこそこ上達しているのだ。「継続は力なり」をここまでストレートに体感したのはいつ以来だろうか。
反比例するように、長らく筆を置いていたブログ及び文章はへたへたへたっぴ(©サンリオ)になっている。だがまぁ、今年もまた美しい季節がやってくるのだから、僕はまたつらつらと文章を書き列ねはじめるのだろう。絵も描けぬ写真も撮れぬ自分の心を揺らした瞬間を留めておく方法など、これしか知らないのだから。

平成にはアマトキシンを 有色人種にはマシンガンを

2018年の面影を色濃く残したままに、2019年を迎えて2週間が経つ。

明けましておめでとう、という新年における構文は使い古された一発ギャグのようで安心する。何はなくとも明けましておめでとう。今年も宜しく。それに代わる変化球の挨拶を考えさせる余地もなく、人々はテンプレート化した言葉を交わす。誰が何をしなくとも自然に明ける年を「おめでとう」と祝いあえる、その乱暴なまでに無責任な祝祭感に笑いそうになってしまう。

やがて新年の緩慢な非日常は、長い休暇の終わりともに鳴りを潜める。正月番組が終わりいつものニュースやドラマが始まる頃には皆、去年と変わらない日常を嘆いたり喜んだりしながら日々を進める。

 

回るのは季節とかレコードだけで、世界における(文字通りの意味での「世界」でも、個人個人にまつわる身の周りの小さな世界でも)由無し事のほとんどは何も変わらない。それでも人々は自らつくりあげた「暦」なる概念に意味を見出し、気持ちを新たにしたり何かを忘れたりする契機としてそれを拠り所とする(そして僕は同じようなことを毎年言っているな、と思い至り、少し辟易する)。

見えない力で改まった気持ちをもって、幾らかの人々は行動する。大仰に言えば人生に、仔細に言えばある人は仕事に、ある人は学問に、またある人は人間関係に、前進(或いは方向転換)を求めて。

 

年が明けてから幾つかの恋の話を聞いた。前進、停滞、寄り道。時間の進み方が一方向である以上、後退はない。いずれにせよ、年を重ねるごとに色恋の話は(語り手にとっても聞き手にとっても)質量を増す。水をたっぷり吸った真綿のようなそれらは、良くも悪くも10代の頃のような軽やかさを失い、その足取りは砂漠を行くキャラバンのようにずしりと重いことが窺い知れる。歩みを進めるのにも、積み荷をおろすのにも、力が必要なのだと気づく。然るべき道がもしあるのならそこを正しく歩きたいのだけれど、大人になっても僕たちは道路標識の読み方がわからない。或いは、自分が目指す先さえも知らないのかもしれない。

だから僕は、できるだけたくさんの人に優しくあり続けたい。歩き疲れた人には水を差し出し、足を引きずる人には肩を貸したい。だから、いつか僕が路頭に迷い立ち尽くす時、どこか遠くから名前を呼んでほしい。いつか僕が土砂降りの雨の中でうずくまる時、隣で傘をさしてほしい。僕は自分のひ弱さを嫌というぐらいに知っている。今日、ぼろぼろと涙を流しながらビールを煽り、「この人いつもこうなんですよ」と周囲からの失笑を買っていた彼女は、いつかのどこかの僕であったのかもしれない。

 

半年も待たずに、平成が終わる。ひとつの時代が終わる。遅効性の毒を盛られるがごとく、ゆっくりと死んでいく平成の亡骸から生まれる新しい時代よ、幸、多かれと、小さな僕は優しく生きる。

 

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クジラジャム'18

2018年が終わる。
マジか。マジかという気持ちである。年々時の流れの早さに驚いているのだが、今年はおかしかった。この一年はなんだか特別すぎて、脳のCPUが追いつかない。恐ろしい。
そして例年にも増して音楽を聴いた一年であったようにも思う。ライブもけっこう行ったし、なぜかレゲエバーでラップもした(なんで??)。なので、人生で初めて年間ベスト的(アルバム単位)なのをやります。専門的なことは何も言えないのですが、この人こんなの聴いてるんか、ぐらいのテンションで見てもらえるとちょうどいいかなと思います。


・ai qing/KID FRESINO

ai qing

ai qing

  • KID FRESINO
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥2037
2月に「coincidence」が先行リリースされて3月にPV公開された時点で、今年ヤバいんちゃうかという期待がブチ上がってしまった。で、案の定アルバムもこの仕上がり。10月に味園のCHOICEでSeihoと出てたステージングも最高だった。髪型だけ見れば金属バットだった。

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・DREAM WALK/パソコン音楽クラブ

DREAM WALK

DREAM WALK

  • パソコン音楽クラブ
  • エレクトロニック
  • ¥1528
パ音はいいよなぁ〜〜ライブ行かなきゃな〜〜つって今年3回ぐらい干した(バカなのだろうか)。いや、ホントに生でライブ観たいのよ。もうさ、あんま遅い時間にメトロでやるのやめようぜ。でもやっぱ踊り疲れた3時ぐらいから聴きたい気持ちもあるよ。「Inner Blue」名曲すぎんよ〜〜Batsu氏によるremixも最の高。

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・愛をあるだけ、すべて/KIRINJI

Aiwo Arudake, Subete

Aiwo Arudake, Subete

  • KIRINJI
  • J-Pop
  • ¥1935
コトリンゴが脱退したのは本当に残念なのだが、決してぶれないその幹の太さ、その姿の異質さたるや、さながら屋久杉である。「非ゼロ和ゲーム」とか、どうかしてるとしか言いようがない。ググれば堀込兄の思う壺と思い癪だったので、Yahoo!で検索した。タイトルのキャッチーさ、メロディのポップさ…This is Grooveの極北。

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・Love Me/HONNE

一気にジャケの方向性が変わって笑った(怖い)。あのダサい日本語帯が好きだったのでちょっと残念な気持ちだったけど、曲は全部とても良かったです。去年の「Just Dance」はかなり踊れてカッコよかったけど絶妙にダサい感じもあって、でもそこもまた良かった。俺はホンネにちょっとダサくあり続けてほしい。

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・Traversa/Geotic

Traversa

Traversa

  • Geotic
  • エレクトロニック
  • ¥1528
いわゆる美メロエレクトロやな〜〜という感じ。そういうのはもともと好きなので、久しぶりに聴いても気持ちよく聴ける。ひたすらに聴きやすくて、SF読むとかそういう時に聴くとサクサク読めそう。i am robot and proudと同じカテゴリだと思っている、アニメーションとの親和性たかそうな感じとか。知らんけど。

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・POLY LIFE MULTI SOUL/cero

上半期のベストはと問われたなら、これだと言わざるを得ない。ブラックミュージックやアフロビーツの音像、或いはポリリズムを取り入れた大胆かつ緻密な曲構成。別に洋楽と邦楽でどちらが優れているかといったクソみたいな議論に興味はないが、ここまで「世界の潮流」を読みそれをこのクオリティでアルバム作品としてまとめ上げられる日本人のアーティストがどれほどいるのか、と考えてみると、ちょっとcero以外には出てこないようにも思える。アルバム内の楽曲につけられた「遡行」という曲名がワールドワイドな彼らから見た日本のミュージックシーンに対する皮肉、というのはもちろん僕の邪推である。

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・Cassa Nova/落日飛車

Cassa Nova

Cassa Nova

  • 落日飛車
  • ロック
  • ¥1528
バンド名がいいですね、本当に。字面最高な上に「サンセットローラーコースター」て。アジア圏のバンドとかアーティストがアツいアツいとは小耳に挟みつつもちゃんと聴くようになったのは今年からでした。シティポップ、AORの流れを汲みつつエスニックなエッセンスも加えつつ(そうなのか?)アルバム通してええ塩梅になってるように思います。「Cool of Lullaby」が特に好き。

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・Crumbling/空中泥棒

Crumbling

Crumbling

  • 空中泥棒
  • シンガーソングライター
  • ¥1375
名前が素敵シリーズ。“Mid-Air Thief”て。もともとは『公衆道徳』名義で活動してた韓国の人のソロプロジェクト。Apple Musicの当てにならないジャンル分けでは「シンガーソングライター」となっているがあんまりそういうのも気にせず聞いた方がいいな。お、女性ボーカル入ってるやんと思って調べたらSummer Soulの人だった。アルバム通してなぜか立ち並ぶ公団住宅とかの風景が想起される感覚というか、奇妙な懐かしさがあって大変素晴らしい。

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・ソングライン/くるり

サンキューくるりサンキュー岸田!音博ちょう楽しかったぜ!!ハイネケンバドワイザーで乾杯や!!!

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・Freeway/んoon

Freeway - EP

Freeway - EP

  • んoon
  • R&B/ソウル
  • ¥1020
この夏一番聴いたかもしれない。PVのサムネからは想像もつかないほどの極上のボサノヴァです。そしてだんだんこの曲にはこのPVしかないと思わされるようになる。なんなら一回夢にも出てきた。「Tragedy」とかも聴いてて心地よい。EP入手しそびれたの悔しいよ俺は。

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・Room 25/Noname

Room 25

Room 25

  • Noname
  • ヒップホップ/ラップ
Noname普段からめちゃめちゃ聴きこむ感じのラッパーではないけど、声がすごい好みである。今でこそサグめのギャングスタラップも好き(笑っちゃう)だけど、こういうR&Bの延長線上にある感じのメロウなビートに乗っけるフロウのラップはシンプルにストレスなく聴けるので相対的にヘビロテしがち。外国のラッパー(ラッパーに限らずですが)はポリティカルなメッセージとか社会に対するオピニオンをしっかりリリックに組み込んでいるイメージが強くて、そこを踏まえた聴き方ができるともっと面白いんやろうな……と思う。「詩人」と呼ばれる彼女の楽曲であればなおさら。

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・なんて素晴らしき世界/Tempalay

いつの間にかベースが脱退してキーボードが加入していたTempalay。メンバーは変われど洒脱なサイケっぷりは健在で、アッパーとダウナーの間をふらふらさまよう感じのグルーヴが最高。先行リリースの「どうしよう」は「Oh.My.God!!」ぶりに食らった。

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・BALLADS 1/Joji

BALLADS 1

BALLADS 1

  • Joji
  • R&B/ソウル
  • ¥1528
Jojiを筆頭に今年は88risimg勢の勢いが凄かった。YouTuberから本格的にアーティストに転向するのってイメージ的にも絶対難しいと思うのだけれどそれを成し遂げてるわけだからやっぱり才能マンなんやな……。とりあえずPVで死にすぎ。

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・The Beam/BIM

The Beam

The Beam

  • BIM
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥2037

みんなのアイドルBIM坊ちゃんの待望のソロアルバムだ!!全16曲という大作である。PUNPEEが参加した「BUDDY」は言わずもがな、jjjプロデュースの「Tissue」が個人的にめちゃめちゃツボ。hookの「乾いたウェットティッシュは なんでゴミ箱の中で泣いてる それは一体なんでか聞きたい」の意味を聞きたい。

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・Quarterthing/Joey Purp
https://itunes.apple.com/jp/album/quarterthing/1435279935?uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog
この記事を書くにあたっていろんな人の年間ベストを参照したけど、なぜかこのアルバムは誰のベストにも入っていなかった(Mitskiの「Be the Cowboy」はどこのベストにも入ってた)。でもホンマに好きや〜〜Joey Purp。シカゴのラッパー感ゴリゴリで、ただただカッコいい。頼むからフィジカルリリースしてくれよ。買うし。リード曲のElasticの切れ味は異常。

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・Saturn/Nao

Saturn

Saturn

  • Nao
  • R&B/ソウル
  • ¥1630
R&Bというジャンルで言えばこの人の声もまた異質な部類に入りそう。美声というよりクセのあるハイトーンボイスといった声質で、それがまた不思議と良い。そういえば去年MURA MASAと一緒にやってた「Firefly」も名曲やったな〜〜

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・Animals Acoustic/TTNG

ほとんどポストロックらしきポストロックは聴かないけど、TTNGに関しては追わずにはいられない。This Town Needs Guns名義だった2008年にリリースされたアルバム「Animals」のアコースティック版。アルバムタイトル通り、すべての曲が「Chinchilla」「Panda」「Lemur」と動物の名前が付けられている(Lemurって何かと思ったらキツネザルでした)。きっちりアコースティックに再構築されていて聞き応え十分。

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・Inside Voice/Joey Dosik
https://itunes.apple.com/jp/album/inside-voice/1386071061?uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog
Marvin Gayeと比較されることも多いJoey Dosikの1stフルアルバム。ホワイトマーブルのカラーバイナルが実にオシャレで気に入っておりますが、内容もしっとりとした歌声とメロウなサウンドがとにかく聴かせる楽曲揃い。「人間のための人間の音楽」というコンセプトは伊達じゃない。

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・Cranberry/Hovvdy

Hovvdyのジャンル分けやら紹介文なんかを見てると「ベッドルームプロジェクト」なる文言が出てくることがあって、意味はよくわかってないけどHOMESHAKE(マック・デ・マルコの元ギターのソロプロジェクト)もそんな呼ばれ方してるな……なんてことに思いを馳せてみるとふわっと理解できるようなできないような……。そもそもは制作環境としてシンセとかMTRさえあればスタジオでなくとも寝室程度のスペースでも音楽は作れる、的な意味合いからついた名前だったと思うのだが、概して浮遊感や広がりのあるサウンドが特徴的な、まさに寝室でリラックスして聴くのに打ってつけの楽曲が多いんだよな、という所感。てか、もはや「ベッドルームポップ」なるジャンルもあるみたいだし、そういうのとごっちゃになっちゃってんじゃないか。言わずもがなですがPetalは大名曲なので未聴の方は是非。

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・Stray Dogs/七尾旅人

七尾旅人もまた、変わるところはガラッと変わるし、それでいて大事なところはずっと残しておくみたいなことがしっかりできる器用な人やな〜〜と思う。「Leaving Heaven」は「メモリーレーン」に似てるけどどちらも好きです。「DAVID BOWIE ON THE MOON」はなかなか衝撃的だった。

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・Eutopia/STUTS

Eutopia

Eutopia

  • STUTS
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥1833
結局こうなってしまうのである。年間通していろんな楽曲がリリースされる中で、できる限りその多くを耳に入れたいと思う一方で自然と繰り返し聴いてしまう音楽がある。そのクレジットにはSTUTSという文字列がよく並ぶ。今年1番聴いた楽曲は何か?ーー正直に言えば去年の暮れにリリースされた、STUTS×SIKK-O×鈴木真海子の「Summer Situation」だ。

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このアルバムには仙人掌、一十三十一鎮座DOPENESS長岡亮介など、いろんなジャンルのアーティストが参加していて、それらのアーティストが一枚のアルバムの中で誰かが浮くとかいうこともなくそれぞれに魅力を発揮できているというのは、偏にSTUTSというトラックメーカーの実力の証左でもある。全ての楽曲に共通して感じるのは、feat.するアーティストへのリスペクトだ。
そんなSTUTSのスタンスを象徴しているのがアルバムのラスト15曲目、JJJが参加した「Changes」である。「全て罪に目を瞑る」から始まる歌詞の端々にはFla$hBackSの元クルーであるフレシノへのメッセージや、同じくクルーでありながら今年2月に夭逝したFebbへのR.I.Pが感じられる。そのリリックがSTUTSの美しくも哀愁漂うトラックに乗せられている。そして先日、この曲のPVが発表された。

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新たな命を授かったフレシノ、旅立ったFebb、その二人へ向けられたJJJの眼差し。その瞳に込められた想いをただのリスナーでしかない僕なんかが正しく言い表すことは勿論できないが、例え月並みな表現でもその気持ちを「愛」という名前で呼ぶことは間違いだろうか。2018年のアンセムとしてこれ以上にふさわしい音楽を僕は知らない。


もっともっといろんな楽曲があって、思い返せばきりがないのだが、悲しいかな、そろそろ今年も終わってしまう。平成もたけなわ、これにて聴き納め。音楽との出会いがアホみたいに素晴らしい出会いをつくってくれることを僕は知っている。