クジラと宇宙を泳ぐいくつかの冴えたやり方

クジラを飼えたらたぶんたのしい

ぼくがはてなブログをはじめた理由はだいたい1個ぐらいあって

ひとつめはブログというか、コラムを書きたいなと思ったこと

去年の春から、大きくも小さくもないけど分不相応に大きいビルの中にある広告代理店で働いていて、始業時間までの15分くらいで「勉強」という名目を羽織りながら、TCC(東京コピーライターズクラブ)のリレーコラムを何とはなしに読んでいました。

TCCはその名の通り、東京を中心に活躍しているコピーライターの集まりで、リレーコラムはそのTCCのサイト上で公開されているコンテンツです。TCC会員のひとりが(原則)月〜金の5日間コラムを書いて、また次の週べつの人にバトンタッチしてコラムを書いていく…という形で更新されています。
内容は様々ですが、傾向で言えば
「若い頃はこんなことでこういう失敗して怒られたけど、それってこういうことだったんだなぁって。そんな経験のおかげで今の(デカいプロジェクト動かしてるor独立して成功してる)自分があるんだよなぁ〜〜もちろん今でも毎日大変だけど周りもすげぇリスペクトできる人ばっかでホント刺激受けまくり、広告業界サイコー!」
的な内容が各々の仕事哲学を交えながら語られているのが大半と思っていただければ。

そんな華やかでめまぐるしいトーキョー広告マンストーリーを流し読みしながら想像してみるのですが、大抵20時〜21時台には退社できる地方都市の新卒サラリーマンの生活とはかけ離れすぎていて、彼らの世界とはとても地続きとは思えないというのが正直なところです。
もちろん、東京には大企業もマスメディアもインフラも集中していて、仕事ひとつひとつの予算も桁が2つくらい違うというのは至極当然の話です。でも、その大前提としてある「大企業もマスメディアもインフラもなんでもある」という環境が完全に「別世界」なわけで、もはや扱っている商品が、持っている武器が違うんだなぁと途方に暮れてしまいます。

その中でコピーライターという職業だけは、言葉を武器にしているのです。
「コピーライター」という職業を知ったときから、教育を受けていれば誰でも等しく持っている「言葉」をどうして売り物にできるのだろう、と思っていました。
小説家や詩人、脚本家といった人々も言葉を武器にしますが、彼らの活動の根底にあるのは「表現」であり、基本的には自分の芸術などを創りあげることを目的としている、と思います。
広告活動は原則として「もの・サービスを売る」ことがベースに在ります。そのためにCMやポスターを作り、それをどの媒体に載せて発信するかを選定するには専門的な技術や知識が必要ですが、そこに挿入される言葉(キャッチコピーにせよボディコピーにせよ)は、本質的には「もの・サービスを売る」ための言葉であり、実際にお客さんと対面してセールスするときの言葉と同様のものであるはずではないでしょうか。
だとすれば、なぜ「広告」における言葉には専門職としてのコピーライターがあり、商品を実際にセールスするための言葉には専門職がないのだろう、広告表現における言葉とはなにがそんなに特別なのだろう、ということをぐるぐると考えるようになりました。

ひとつ思い至ったのは、広告は「自分」という枠の外にあるもののための言葉である、ということです。
小説も詩も脚本も、その構想や世界観、思いの丈はすべて(多かれ少なかれ外界からの影響を受けていても)自分の中から出てくるもので、言葉はそれを表現するために用いられるものです。対して広告は、自分の感情や心の外にある「他者」としてのものやサービスのために言葉を用いるものです。
つまり、「他者のための言葉」を理解することが広告におけるコピーを理解することに繋がるのではないか、と考えました。

経緯が随分と長くなりましたが、今回僕はコラムを書きたいと思って、はてなブログのアプリをダウンロードし、ユーザー登録を行い、このブログを立ち上げました。実際の定義は知りませんが、感覚的にブログは自分の経験したこと、その上で思ったことを書き連ねる、材料も調理も自分の中にあるものでおこなう表現だと思っています。僕がしたいのは、自分から湧き出るものだけじゃなく、自己の外にあるものをも材料にして自分で調理をおこなうコラムです。コラムを書くことは広告を書くことに近いのかなぁ、全然近くないのかなぁ、とか思いながら週に2、3日くらいのペースで、これから書いていきたいと思っています。

いきなりえらい長くなっちゃったな。
とか思ったけど、実際公開してみたら全然たいしたことなかった。終わりです。