クジラと宇宙を泳ぐいくつかの冴えたやり方

クジラを飼えたらたぶんたのしい

白磁の初恋

今にして思えば、あれは初恋だったのだろう。

 

父親の仕事の都合で、私は幼い頃からジプシーのように日本中を転々としていた。まだ物心もつかないような昔には家族そろって北海道に住んでいたこともあったらしい。当時名古屋のアパートで、北の大地への転勤の報せを食卓で父から聞いたときのショックを、母は「さすがに箸が止まった」と語った。

私に芽生えた自我が記憶を構築するに足りるほどに成熟しだした頃、一家は石川・金沢に暮らしていた。6歳を迎えた私は小学生となり、片道30分かけて通学する日々を送るようになっていた。

学校近くに住んでいる生徒は各々一人で登校していたが、私のような遠方からの生徒は近所の1~6年生で7、8人の班を組んで登校するのが決まりであった。同じ通学路をゆく別の班に、ニシムラさんはいた。

 

ニシムラさんは同じクラスで、一番背の高い女の子だった。活発で明るい性格も相まって、すぐに彼女はクラスの中心になった。後にじゃりン子チエを初めて見たとき、彼女の髪型はチエのそれにそっくりだったのだということを知った。

彼女とどんな話をしたかなどはさっぱり覚えていない。小学一年生の頃のことだ、男子が話すことなど誰に対してもおおかたデジモンポケモンと相場が決まっているし、そもそも教室で女の子と仲良く喋ろうものなら冷やかしの対象となってしまう。それでも、家が近所ということもあってよく一緒に下校していたように思う。ニシムラさんの家は私の通学路の途中にある神社の近くにあって、そこは専ら子供たちの遊び場でもあった。近所には一般的な遊具一式が揃った公園もあったが、不思議と神社の方で遊ぶことが多かった。

ある日の夕方、ニシムラさんを含む何人かで下校している時のことである。学校からの長い道のりの途中から、私は尿意に襲われていた。そろりと首をもたげた尿意は歩みを進めるごとに「出してくれ」と主張するその声を大きくしていく。次第に口数が減り、冷や汗をかき、足取りが奇妙になっていく私の様子に、同級生たちは誰も気がつかない。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、ようやく神社までたどり着いた。この時私は、半分諦めていた。ここから家まであと10分はかかる。神前ではあるが神様も助けてはくれまい。自分にできるのは、なるべく人目につかないところを探すことぐらいだった。その時、ニシムラさんが私に顔を近づけて耳打ちした。

「うちのトイレ、貸したろか」

ニシムラさんはずっと、私の内なる闘争に気づいていたのだ。感謝と羞恥で答えに詰まる私の返事を待たず、ニシムラさんは一緒に帰っていた同級生たちに「じゃあね」と言って、神社から徒歩30秒の自宅へと私の手を引いて走った。

 

彼女のおかげで私は「お漏らし野郎」のレッテルの授与を回避できた。しかし、その日以来、下校中に神社の前で尿意をもよおすサイクルができてしまった。学校を出る前にトイレで用を足しておいても、神社に到着する頃には尿意が爆発せんばかりに膨れ上がっていた。そしてその度に、私はニシムラさんの家でトイレを借りた。

そのうち、ニシムラさんと帰っていないときでもおばさんに断ってトイレを借りるようになった。おばさんは嫌な顔一つせず、ほぼ毎日トイレを貸してくれていた。いつか、ニシムラさんがうちの近所の公園で遊んでいてトイレに行きたくなったら貸してあげよう、と思うようになった。しかし、ニシムラさんがうちのトイレを使うことはなかった。

小学二年生に上がる少し前に、我が家の名古屋への引越しが決まった。

春休みに入る最後の登校日、クラスでは私のお別れ会が開かれた。色紙や手紙、手づくりのプレゼントなどをクラスメイトからたくさんもらった。その中の一つに、「かなざわでトイレいきたくなったらまたきてね」と書かれた手紙があった。

その後も何度か繰り返した引越しの中で、贈り物はみんなどこかへ行ってしまった。あのトイレへの招待状も失くしてしまったが、いつか私が金沢の地でもよおしてしまった時、ふと目の前にあの白磁の便器が現れるような、今でもそんな気がしている。