犬は歩くトコトコ、象は歩くノシノシ

もうすぐ6月が終わる。あっという間だ。もはやこの先、時間があっという間じゃないことなど無くなってしまうのだろう。

楽しい時間は矢のように過ぎていくものだけど、鬱屈とした時間も目まぐるしく過ぎていくのは、救いでもあり老いでもあるようで少し侘しい。

 

6月1日木曜日、帰宅中に駅の階段で左足を骨折した。

珍しく19時前に会社を出られたので、さっさと家に帰って本でも読もうか、はたまた撮り溜めしていた映画を消費しようかと、足取りも軽く階段を降りているところだった。上りも下りも一段飛ばしをするのは僕の悪い癖だと、今になって痛感する。目の前にヌッと、歩きスマホの人が階段を駆け上ってきたのにハッと気づく。とっさに避けようとして足を踏み外し、3〜4段分くらいの段差を落下、左足の甲から着地した。

こういう事故だったり大きな怪我をする瞬間はスローモーションになる、なんて話はきっと後付けでしか無いが、身に迫る不可避の危機に直面した瞬間、人はマスターベーションの後のように冷静になれるということは確かだ。パキッと小気味の良い音が身体の内側から響き、折れたな、と僕は直感した。患部に激痛が疾ると同時に、人体の神秘たる機関である脳はエマージェンシーを全細胞に発令、ドーパミンだのエンドルフィンだの脳内麻薬を分泌し、身体の主たる僕がその痛みで発狂、絶叫、ないしは失禁といった社会的スーサイドを遂げぬよう適切な信号を送った。

理性を保ったままひとまずソロソロと立ち上がって電車に乗り、なんとか家の最寄駅に到着するも、そこから15分歩いて自宅まで帰るのはどう考えても不可能であった。駅前でタクシーを拾い、救急病院で診てもらい、レントゲンを撮ってもらう。

「折れてますね」

医師の宣告に半ば食い気味で

「知ってます」

と喉まで出かかったのを押し止められたのも、脳内麻薬のおかげだろう。こんなにドキドキしない宣告も初めてだった。ともかくその場でギプスを装着され、僕は約4週間の松葉杖生活を余儀なくされたのであった。

 

しかし、松葉杖がこんなにも欠陥のある移動手段だとは思わなかった。

まずはじめに腕が悲鳴をあげる。一歩進むごとに自重を丸ごと両腕で支えなければならないからだ。耐えかねて脇 a.k.a. 毛細血管がいっぱい詰まってるとこ に身体を預けるようになると、きっちりそのツケが痛みとして回ってくる。次いで、折れていない右足が、不自然な着地や常に全体重が乗っかっている状態のために靴擦れしてくる。満身創痍の出来上がりである。1日目はとにかく通勤だけでヘトヘトになった。そして、腕はともかく百歩譲っても脚だけは怪我しちゃいけない、そもそも脚を怪我していては一歩も譲れないのだ、と悟った。

 

梅雨のこの時期に雨がほとんど降らなかったのは、不幸中の幸いと言う他ない。平日は家族の自転車を借りて駅前で乗り捨て、追ってそれを取りに来てもらうという通勤を繰り返した。そのうちに、胸板がえらく分厚くなってきた。松葉杖で家から会社までの道のりが思いの外苦ではなくなりつつあった。実家暮らしの有り難さに、ずいぶん久しぶりに気がついた。

休日は専ら家で安静にしているか仕事しているかの二択だった。タイミングの悪いことに、ただでさえ祝日がないのに休日出勤まで多い月だった。入れていた遊びの予定はすべてキャンセルした。普段丸一日家にいるという休日を過ごすことがほとんど無いので、精神衛生上とてもよろしくなかった。それこそ、撮り溜めてある映画や積み上がった本を読んでいればよかったのかもしれないが、いざ「24時間」という膨大な単位の時間を塊で与えられても、行動の割り振りが咄嗟には出来ないのである。自由に外に出られないということが、何よりキツかった。

周りの人がキビキビ動いていたり土日にちゃんと遊んでいたりするのを見ていて、大げさなことを言うと、自分だけ人生が停まってしまっているような気がした。みんな何かしらの形で前に進んでいるのに、足が折れていようがいまいが、僕は何も進んでいないのではないか?と思い至ってしまった。

 

月曜日、ようやくギプスが外れた。

脚を傷つける恐れのないよう、最近ではノコギリやトンカチではなく共振でギプスを割るらしい。ギプスと骨が同じ振動数で割れなくて良かった。科学はすごい。風呂に入って左足をタオルで擦ると、ビックリするぐらい垢が出てきた。機能していなくても、人生が停まってしまっていても、左足はしっかりと新陳代謝していた。

今は松葉杖をつきながらも両足で歩いている。もともと歩くのが速いので、遅々とした歩みがもどかしい。だが、テクテク歩くおじいさんにも抜かされてしまうようなこの歩幅が、いまの自分にちょうどいいのだろう。ソロソロ歩きでも前に進めたらそれでいい。この歩幅で進んでいきたい。