タイプライターはモルフォ蝶の夢を見るか?

世の中に提唱されるあらゆる論説のひとつに「バタフライ効果」というものがある。

 

バタフライ効果(バタフライこうか、英: butterfly effect)とは、力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象。カオス理論で扱うカオス運動の予測困難性、初期値鋭敏性を意味する標語的、寓意的な表現である。気象学者のエドワード・ローレンツによる、蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?という問い掛けと、もしそれが正しければ、観測誤差を無くすことができない限り、正確な長期予測は根本的に困難になる、という数値予報の研究から出てきた提言に由来する。 

※上記、インターネッツにおける善意・お節介・虚言の坩堝ことWikipediaより引用

 

文中の「寓意的な表現」を具体的に言うと、「ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」というものになるらしい。一見テキサスの気候とは無関係そうな、遠く離れたブラジルでのほんの僅かな大気の揺らぎ(=蝶の羽ばたき)が、巡り巡って大きな変化(=竜巻)をもたらすという理論だ。

 望むと望まざるとにかかわらず、僕たちは日々を過ごしていく中で無数の選択を迫られ、自分の意思の有無を別にして時に何気なく、時に熟考してその答えを選び取る。めざましジャンケン、どの手を出すか?点滅する信号、走って渡るか?次の青を待つか?打ち上げ花火、下から見るか?横から(etc

一つ一つの選択は僕たちを異なる未来へ連れていくが、その選択によってもたらされる変化の多くはほとんど誤差レベルと言って差し支えない。例えば今年最後の出勤日、僕はいつもより少し遅く家を出たが、結局いつも乗る電車に間に合うように駅に着き、普段どおりお利口さんに出社した。もし駅に着くのが遅れて一本後の電車に乗ることになっても、始業時間までにはきちんとタイムカードを押せていたはずだ。このように、選択により分岐した未来の多くは最終的にメインストリームとなる未来に収束することとなる。そういう意味では、前述のバタフライ効果は正鵠を射た論説というよりむしろ、愚にもつかない詭弁と言うべきかもしれない。僕が口笛を吹いたとしても冬型の気圧配置には何の影響ももたらさない。そもそも、僕は口笛が吹けない。

 

しかし、我々の人生において「転機」と呼ばれるタイミングは必ずある。ただその多くは転機によってもたらされた変化を体感した時に初めて「あぁ、思えばあれが転機だったのだ」とわかるような代物なのだ。つまりは転機云々も結果論でしかないのだが、今年はその「転機」を色濃く感じる一年だった。

転職することが決まったのだ。毎年のように「転職だー!転職するぞーー!!」と豪語し続けいつしかオオカミ少年よろしくテンショク少年になりかけていたが、ついにである。2月から京都の企業で自社メディアに掲載するコンテンツを制作するライターとして働くことになった(会社そのものはwebコンテンツ制作会社や編プロなどの類ではなく小売業なので説明が難しい…)。自社製品に携わる職人さんや工房を訪ねて取材する機会が多いらしく、学生時代にフリーペーパーを作っていたときの面白さを思い出してソワソワしてしまう。その転職も、僕の人生におけるあらゆる選択の連続の結果である。

 

今まで自分は大きな流れに抗うことなく、その流れに身を任せて生きてきた。人生なんてなるようにしかならないというケ・セラ・セラ精神が染み着きすぎたあまり、選択にほとんど自分の意思がなかったのだ。もちろん、大学や就職といった大きな節目(例外的にわかりやすい転機)においてはある程度自分の志望があってそこに向けて受験勉強や就職活動をしてきたが、自分の能力やキャパシティを早々に見限ってしまい、それ以上の場所を目指して努力することが出来なかった。

転職を本格的に決意したのは、ふとした瞬間だった。イベント終了後の施工業者の撤収作業に立ち会っている時、自分が出来ることって何だ?という疑問が頭を過った。施工業者は看板や装飾の設営ができる。PAは音響のミキシングができる。イベンターはイベントの執り回しが。デザイナーはデザインが。コピーライターは広告コピーが。いろいろなプロフェッショナルの手を借りて案件を取りまとめるのが自分の仕事だが、その自分自身が何かを生み出せるのか?という疑念が湧き上がってきた。湧き上がってきたが、どうしたらいいのかわからなかった。今の仕事も望んで入った業界であるということもあり決して嫌いというわけではなかったのだ。読み書きが好きで、言葉や文章で生活者と企業を繋ぐコミュニケーションの手助けをしたいということを理由に編集者やライターに興味を持ったが、それと自分の文章力とは別問題だということも、僕の頭を悩ませた。

悩ませながら、とりあえず進んでみることにした。

転職サイトには登録せず、自分が行きたいと思う企業をひとつ見つけて応募する。選考途中で落ちたらまた次を探す。決して効率の良いやり方ではないし、自分自身あまり転職活動をしている実感はなかった。そのぶんストレスは少なかったし、何よりケ・セラ・セラ主義者の性分に合っていた。落とされたりもしたが、面接はとてもやりやすかった。大きな流れに運ばれるままに就職活動をしていた新卒の頃に比べて、曲がりなりにも社会人3年目の自分は「はたらく」ことを知っていた。自分の人生の舵を取っている、はじめての感覚だった。

 

自分にとって大きな変化を迎えた一年だったが、ここからがはじまりになるのだろう。小さな転機によってもたらされた転職がこの先のもっと大きな変化の転機になるように、自分の文章がいつかどこかで大きな風を呼ぶように。これからも読み書きを頑張りたい。頑張りたいぞ俺は。僕とか俺とか異なる一人称が混在してるけど大丈夫か。来年もブログも頑張るぞ。

 

#わたしの転機

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