さよなら三角、またきて七月

うかうかしていたらもう7月である。

すなわち、まる2ヶ月ブログをサボっていたということになる。サボタージュを生業とするサボリジニに成り果てているうちに、京都はじりじり熱気と湿気を蓄えており、気づけばクーラーのリモコンに手が伸びてしまうような季節になっていた。ちょっと前まで春の夜長がどうだのこうだのとほざいていたというのに。「うかうか」は人の時間感覚を狂わす非常に危険な状態であるということを学んだ(前回の投稿で発令された「自宅での単独飲酒に限り禁酒令」も、うかうかしているうちに反故にしてしまった)。

 

思い出したようにこうしてブログを書いているのは、ワールドカップの影響でもなければ歌丸師匠がお亡くなりになったからでもない(笑点メンバーでは小遊三師匠に次いで好きでした。合掌)。

京都に居を移して早くも5ヶ月が経とうとしている。当然と言えば当然だが、身の周りの環境がめちゃくちゃに変わっている。新しい友だちが何人かできたり、長い付き合いになる友人たちもいろいろと状況が変わったりしている。ようやく人生四半世紀目を迎えているわけだが、こんな落ち着きのない感じで大丈夫だろうか。そんな不安に襲われるときには必ず、心の中の川平慈英が「い~いんですッ!!ク~~ッ」と言い切ってくれるので僕はなんとか正気を保てている。とにもかくにもそれはそれで、(健康や生活力を切り売りしながら)面白おかしく過ごしている。

そんな折にふと、身体と時間は誰しも等しく有限だということに気づくのである。誰かといる時間が長くなると、必然的に他の誰かといる時間が短くなる。自分の世界を広げることは、世界の密度が薄く引き延ばされることのようにも思える。

 

昔、大学の先輩が「好きなもので繋がる人よりも嫌いなものが同じ人のほうが、付き合いが長く続く」と言っていたのを、ときどき思い出す。

同時に、それを聞いたときに、すごく「嫌だな」と思った記憶も蘇る。そのときの「嫌だな」は「そんなの嫌だな」であり、「瞬間的に『そうかも』と思ってしまった自分が嫌だな」でもあった。思い出すたびになんとなく、柑橘系の皮付近の苦いところによく似た後味の悪さが口に広がる。自分の意識下にこびりついた、呪いのようなものなのかもしれない。 

 

嫌いなものを共有することは、 後ろめたさを分け合うことだと思う。

何かを嫌うというネガティヴな感情を、「わたしも」と互いに持ち寄り確認しあい、優しく微笑み合うことは、ひとつの秘密の共有であり、危うい甘美さに溢れている。「罪」と名付けるには些か大げさであるが、ふたりを繋ぐその絆は一種の「共犯意識」と呼んでもよいのではないか。

友人関係にせよ恋愛関係にせよ、人と人とが関わりを持ち、それを長く続けることは確かに難しいのかもしれない。PUNPEEは『お嫁においで2015』で結婚について「紙切れに人生を簡単に契約するなんて…」というラインを書いたが、そんな頼りない書類一枚さえ介さない友情・愛情による繋がりというものは、よくよく考えてみればひどく曖昧な口約束のようにも思える。そういう意味では、件の先輩が「楽しみを持ち寄る関係」よりも「負の感情を分かち合う共同体」の方が離れにくいと言うのも、少なからず理解できる。そしてそれは、「離れられないしがらみ」と言ったほうが正確なんじゃないかとも想像している。

 

こういう心的な距離感を言い表すのは難しいのだが、自分の場合「またね」と言いたくなる人が身の周りに多い。「つかず離れず」というのとも違う気がする。収まりのいい言葉は見つからない。ただ、明日かひと月後か、はたまた何年後かはわからないが、朝日のように、季節のように、或いはハレー彗星のように、「またね」の「また」が必ず来るだろうという根拠のない確信が持てる相手がたくさんいる。実際に再会して飲んだり話したりできることと同じくらい、明確に約束するでもなく「今度遊ぼう」とか言い合える人々がいるということはけっこう幸福だ。

偶然にもこの7月は、そんな「また」が重なるひと月になる予定だ。かと言って、全然特別感のない再会である。ましてや天の川を隔てた人たちのようなロマンチックなものなどではない。まあ、どうせきっと楽しい話をするのだろう。次に会うのがいつになるのかわからなくても、僕は「またね」と別れたいのだ。