夏の闖入者、或いは檀れいの狂気性について

真夏のピークが去った。

 

そんな歌い出しの曲を聴く間もなく、コンビニのビールの棚が赤黄色に染まり始めた。季節の移ろいを冷ケースの前で感じるというのは酒飲み特有の風情かもしれないな、と思いながら隣の棚の99.99に手を伸ばす。サッポロのチューハイ事業部に乾杯。

 

 

 



 

あの京都特有のねちっこく尾を引く暑さもどこへやら、僕は寝冷えして鼻をぐずらせ、老いた犬のような空咳で喉を嗄らしている。川床にもビアガーデンにも花火大会にも行かなかったが、季節は異常気象と共に訪れ異常気象と共に過ぎ去っていった。七月も八月も九月も、むせ返るような草いきれの残り香だけをあとにして遥か後方へ見えなくなった。「平成最後の夏」なんていう「分離派の夏」に遠く及ばぬクソヌルいキャッチコピーがつけられた今年の夏に、何か特別なことができたのかというとまあ、そんなこともない。ひと夏で二回徳島に行ったり(阿波踊りは本当に素晴らしかった)、夜通しでバチェラーを見たり(あんきらは本当にかわいかった)、川遊びをしたり(ZOZOスーツは本当はSWIMスーツだった)、そりゃあ普段より浮かれて過ごしたわけではあるが、そのひとつひとつが自分の人生に何か大きな影響をもたらす糧になったかと訊かれれば、答えはNOだ。刺激は一過性で、良くも悪くも後遺症はない。非日常だって結局、日常の延長線上にある。

だというのに僕はまだ、興奮が冷めやらないでいる。次の季節がやって来たというのに、未だに頬を上気させ、肩で息をしている。それはおそらく、夏の闖入者たちのせいなのだ。

 

社会人というのは、一般的になかなか友達ができないものらしい。試みに、検索窓に「社会人 友達」と入力すると、二番目に「社会人 友達いない」との予測ワードが出てくる(一番目の「社会人 友達づくり」はより具体的な方策を求めている感があり、切迫した状況にあることがうかがい知れる)。自分自身、飲み屋で初めて知り合った人と仲良くなることはしばしばあったもののそれっきりになることも多く、密に「友達」と呼び合えるような関係にまで仲が深まることは少なかった。はずだったのである。

 三条京阪駅からほど近くの路地裏にある珍妙なカフェバーに入り浸るようになるうちに、あれよあれよと知り合いが増えていった。知り合いはやがて友達になり、友だちは新たな知り合いを呼び、その知り合いがまた友達になった。んん?友達ってこんなにサクサク増えるもんだっけ??

 

<先輩/後輩>のような、暗黙のうちに互いが了承しあう明確な関係性がある相手とのコミュニケーション能力を研ぎ澄ませていった結果、会話における「構文」が存在しない<初対面の同年代>が苦手だと自覚したのは大学生になったばかりの頃だったと思う。自分の高校からは一人しかこの大学に進学しないということは知りつつも、てやんでぇこちとら生粋の転勤族、対ストレンジャー的視線には慣れっこでぇと高を括っていた。

大学は僕の想像以上に広かった。こんなにたくさんの人間がいるのに、どこにも知った顔がない。そしてすぐに自分の誤りに気がついた。高校のように固定のクラスがない大学において、ほとんどの交友関係は流動的であり、あらゆる授業でほとんどの人間は初対面なのだ。つまり、完成したコミュニティに放り込まれることによって何の努力もなしに好奇の視線を独占できるあの「スター状態」が訪れないのである。サークルというコミュニティに飛び込むことで、先輩たちに可愛がってもらい難を逃れることができたが、以来見知らぬ同年代への恐怖心が拭えずにいた。都会(まち)の人ごみ肩がぶつかってひとりぼっち……笑いかけても誰にも届かない、微笑みの不発弾である。

 

 

 

珍妙なカフェバーで仲良くなれた人びとは皆、純粋に変な人たちだった。メンツだかめんつゆだか知らんが「今日濃すぎww」みたいな歪んだ友達讃歌に興じたいわけではない。血液が10倍濃縮のめんつゆなんじゃないかと勘繰りたくなるぐらい、ただただ「変な人」たちなのだ。ただ全員に共通して言えることは、圧倒的に「我」を出すことである。好きなものは好き!おもしろいものはおもしろい!知りたいものは知りたい!という普遍的な好奇心を360°全方位にぐ~んと伸ばしており、そのメンタルを具現化すればおそらくアルゼンチンの国旗の真ん中のヤツに等しい造形になる。

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周りがそんな人たちばかりだから、ノセられてついついこちらも「我」を出したくなる。それが例え人様にお見せするほどの「我」ではないとしても、だ。同じアホなら踊らにゃソンソン的なAWA VIBESである。卵が先か鶏が先かみたいな話だが、環境と自分は相互関係的に変わっていく。間違いなくきっかけは京都に住み始めたことだし、そのきっかけをつくったのは自分自身の変化とも言える。

9月の終わりも終わり、その変な友達のひとりと飲み歩き、今年の夏のアブノーマルっぷりについて振り返った。後半にかけてほかの変な友達とばったりエンカウントを果たしたことなどで盛り上がり、何を話したのかとかはあまり覚えていないのだが、檀れいが出てくる一見微笑ましいCMから醸し出される狂気についての話でふわっと盛り上がって、不覚にも平成の終わりやなぁ~~とダサい感傷に浸ったのだけ記憶にこびりついて嫌な気持ちである。

 

変化した自分自身と変化した環境とに両手を引かれ、今まで見たことのないもの、聴いたことのないもの、行ったことのないところに触れられた(見なくていいもの、聴かなくていいもの、行かなくていいところもあったのかも知れない。だが、僕がそれについて正確な判断を下せるようになるのはまだ少し先のことだ)。それは長く短い祭りのようなものだった。遠くで珍妙なお囃子が聴こえるのは、きっと耳鳴りに違いない。

今死んでしまったとしたら、走馬燈がほとんどこの夏のハイライトで埋め尽くされてしまう恐れがある。来年はもうちょっとチル重視の夏を過ごそうか。その中で少しの狂気を感じられるような、ひと言で言うなら……そう、「金麦の夏」を。