醜悪のグルメ

冬になってから自炊する頻度が増えた。

と言っても包丁を握るのは週2~3回程度であり、その他は飲みに行ったりレトルトカレーや安売りのお惣菜で済ませたりといった具合である。節約意識とかそういうのもあるにはあるのだけれど、案外キッチンに立つことが嫌いではないらしい。これは実家にいるころには全く気づけなかったことで、けっこう驚いている。四半世紀生きていても、俺は自分のことをあんまりよくわかっていないのか、と思うと少し興奮する。

自炊をするうえでのあらゆる工程にも、あまり嫌なところが見当たらない。材料を買い揃えるにあたって、冷蔵庫に入っているものと組み合わせていかに効率よく消費していくか算段するのは面白いし、食材の値段を比較するためにスーパーや八百屋をはしごするぐらいの手間も厭わない。汚れた食器は溜めこみがちだが、まとめて一気に洗うことで爽快感を得られるだけの心のゆとりもある。これが毎日となると話は変わってくるんだろうけれど。

 

キッチンはとても小さく、洗い場も狭ければまな板を置くスペースも十分とは言いがたい。もちろん一口コンロである(「ひとくちこんろ」の視認性の悪さよ)。狭いキッチンで出来ることは限られており、一度に作れるメニューはひとつだけだ。お肉を焼いてみたり、丼ものを作ったり、麺類をゆでたりする。それに加えて作り置きしていたサラダとか、或いはパックのめかぶや納豆を食べて晩ごはんとする。使い勝手は悪いのだが、逆に自炊経験の浅い独身男性の身の丈に合った設計とも言える。キッチンのキャパシティが完全に僕の実力とマッチしているのだ。現状でアイランドキッチンなんか与えられたりしたら何をどうすればいいかわからず、無人島以上に孤独を味わうことになると思う。多分、シンクにケチャップでSOSとか書く。

食べるのは基本的に自分だからもう自分で言ってしまうのだけれど、味はまぁ普通に美味しいと思う(少なくとも自分好みの味にはなっている)。その代償に、とにかく見た目が終わっている。色味も悪ければ「盛り付け」という概念すらない。そんな自らの手で生み出してしまった哀しき料理(モンスター)たちに対してフランケンシュタイン博士のように非情になれない僕は、慈しみをもって「ブス飯」という名前を与える。見た目は悪くても中身はいい奴らなのだ。

(自分好みの)味以外にも、ブス飯のいいところはたくさんある。まず、ブス飯は無駄が省ける。「仕上げにパセリを添えて~」「パプリカパウダーを散らして~」といった、見た目に彩りを加える工程はすべて無視できる。なぜなら、パセリを添えようがパプリカパウダーを散らそうが、雨が降ろうが槍が降ろうがブス飯はブス飯なのだから。

また、ブス飯がブス飯たる所以の最たるものに「量がおかしい」というものがある。食材を使いまわすという高等技術を持たないため、買った物はなるべく一料理で使い切るというのがブスコックのポリシーである。その結果、異常に鶏肉が多い親子丼、水菜まみれの和風パスタ、麺を遥かに凌駕する大量の具材がブチ込まれた主役不明の煮込みうどん、といったブス飯たちが生成される。僕は食べものの味に飽きることを知らないので、うまいうまいと言い続けながら2〜3日に分けて彼らを消費することができるのもいいところだ。

さらに、ブス飯によってはタッパーに保管して友だちにあげることもできる。あまりよそ様にお出しできるようなビジュアルではないが、そもそも僕は信頼できる奴にしか哀れな我が子を預けるような真似はしない。また、客観的な感想を聞くことによって次なる自炊へのステップアップに、圧倒的成長につながる。僕は発作的に意識が高くなる。

 

正直、身長のわりにはあまり食べないし(基本的に1日2食)、食事に対する頓着もそれほど無いのだが、それでも自炊するのは「家でご飯を食べるよろこび」をめちゃくちゃ知っているからだ。

実家にいるころは、だいたい母親の作った料理を食べていた。大学に入ってからは外食の頻度も増え、社会人になってからは家でご飯を食べるのは平均週3日ほどだったと思う。しかし、僕は家のごはんが変わらず好きだった。母がふつうに料理が上手い部類に入るというのも、もちろんある。ただ、別に家族みんなで食卓を囲んで、というのが良かったわけではない。むしろ、仕事終わりに終電で帰宅した夜そろそろとリビングへ向かい、ラップのかけられたおかずをチンして食べるのが好きだった。一人だろうが複数人だろうが、外食はイベント性があって楽しい。一方、一日を家のごはんで締めるという行為には安心感がある。誰の目も気にせずに好きなペースで好きなように食べるごはんは、よろこびの味がするのだ。

 

いま、家のフライパンのなかには2日前に作ったサグカレーの残りが鎮座している。出来上がったとき、「これはまず『カレー』としての必要十分条件を満たしているのだろうか」と逡巡した(そもそも「出来上がった」の判断に迷った)。ほうれん草とからし菜を合わせて15ヮくらいひたすらみじん切りにして煮込みまくったと言えば、概要は想像がつくかもしれない。それがフライパンにこんもりである。食べるとまぁ、悪くはなかった。

カレーというのは面白いもので、大体なんでも2日目のほうがおいしくなるようだ。昨日改めて食べてみると、なんだか深みが増した気がする。今日食べ切る前に、パクチーを追加投入しようかなどと考えていると、帰る道中でそわそわしてくる。家では安心できるブスが、僕の帰りを待っている。