平成にはアマトキシンを 有色人種にはマシンガンを

2018年の面影を色濃く残したままに、2019年を迎えて2週間が経つ。

明けましておめでとう、という新年における構文は使い古された一発ギャグのようで安心する。何はなくとも明けましておめでとう。今年も宜しく。それに代わる変化球の挨拶を考えさせる余地もなく、人々はテンプレート化した言葉を交わす。誰が何をしなくとも自然に明ける年を「おめでとう」と祝いあえる、その乱暴なまでに無責任な祝祭感に笑いそうになってしまう。

やがて新年の緩慢な非日常は、長い休暇の終わりともに鳴りを潜める。正月番組が終わりいつものニュースやドラマが始まる頃には皆、去年と変わらない日常を嘆いたり喜んだりしながら日々を進める。

 

回るのは季節とかレコードだけで、世界における(文字通りの意味での「世界」でも、個人個人にまつわる身の周りの小さな世界でも)由無し事のほとんどは何も変わらない。それでも人々は自らつくりあげた「暦」なる概念に意味を見出し、気持ちを新たにしたり何かを忘れたりする契機としてそれを拠り所とする(そして僕は同じようなことを毎年言っているな、と思い至り、少し辟易する)。

見えない力で改まった気持ちをもって、幾らかの人々は行動する。大仰に言えば人生に、仔細に言えばある人は仕事に、ある人は学問に、またある人は人間関係に、前進(或いは方向転換)を求めて。

 

年が明けてから幾つかの恋の話を聞いた。前進、停滞、寄り道。時間の進み方が一方向である以上、後退はない。いずれにせよ、年を重ねるごとに色恋の話は(語り手にとっても聞き手にとっても)質量を増す。水をたっぷり吸った真綿のようなそれらは、良くも悪くも10代の頃のような軽やかさを失い、その足取りは砂漠を行くキャラバンのようにずしりと重いことが窺い知れる。歩みを進めるのにも、積み荷をおろすのにも、力が必要なのだと気づく。然るべき道がもしあるのならそこを正しく歩きたいのだけれど、大人になっても僕たちは道路標識の読み方がわからない。或いは、自分が目指す先さえも知らないのかもしれない。

だから僕は、できるだけたくさんの人に優しくあり続けたい。歩き疲れた人には水を差し出し、足を引きずる人には肩を貸したい。だから、いつか僕が路頭に迷い立ち尽くす時、どこか遠くから名前を呼んでほしい。いつか僕が土砂降りの雨の中でうずくまる時、隣で傘をさしてほしい。僕は自分のひ弱さを嫌というぐらいに知っている。今日、ぼろぼろと涙を流しながらビールを煽り、「この人いつもこうなんですよ」と周囲からの失笑を買っていた彼女は、いつかのどこかの僕であったのかもしれない。

 

半年も待たずに、平成が終わる。ひとつの時代が終わる。遅効性の毒を盛られるがごとく、ゆっくりと死んでいく平成の亡骸から生まれる新しい時代よ、幸、多かれと、小さな僕は優しく生きる。

 

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