気持ちの葬式

僕が愛して止まないロックバンド くるりは名曲「ハローグッバイ」で、

この気持ち説明できる言葉も覚えた

と歌った。

 

「嬉しい」だの「寂しい」だの、気持ちを一言で表す言葉はいくつもあるが、どの言葉もその時々で感じた心の機微を語り尽くすにはあまりに足りない。

自分の心と向き合い、目を背けたくなるようなぐずぐずに膿んでしまった部分も直視し、広大な海から言葉を掬い上げて並べていくような作業を経て、彼は「この気持ち説明できる言葉も覚えた」のだろう。

余談ではあるが、三浦しをん著「舟を編む」の中で出てくる、「恋」という気持ちについての表現はとても良い。

f:id:kujira_shugisha:20161231144516j:image

 

そういう真摯な気持ちで、この一年は言葉に向き合ってこれたのかもしれない。

はじめに掲げた週2〜3というペースには遠く及ばないが、かれこれ一年くらいはブログを続けてこれた。

しかし、「あ、いまブログを書きたいな」と思った心の動きをそのまま真空パックして、言葉を拾い集め並べていく作業は非常に難しく手間がかかるものだった。

なんとか頑張って月一ペースの更新というアベレージは保てたものの、かなり体力を要するものだと感じた。

ただ、言葉にできた気持ちは、その感情のネガポジに関わらず、成仏していったような気がする。

 

自分の気持ちを書き留めるということは、心の整理であり、ひとつの弔いのようでもある。

とても煩わしく、頭の疲れる、そして心地の良い葬式だ。

どの気持ちも皆、天国へゆける。

 

この一年で、葬式を挙げられなかった「気持ち」もたくさんある。

そんな「気持ち」の亡霊たちで、少しだけ肩が重い年末だ。

その間にも次々「気持ち」は僕の中に浮かびあがり、窓を開けて、天国へのドアを叩こうとする。

来年もまた、ゆっくり時間をかけて弔ってやろう。