俺なりのミステリー・トレイン

13分遅れで到着した電車は、帰路につく通勤客でごった返していた。ほとんど人が降りず乗車率の減らない車両内に巨体を捩じ込む。申し訳ない。そうは思いつつも仕方がない。だから、私は二割増しのすまなそうな表情で吊り革に手を伸ばす。

 

電車に揺られて数分ほどで次の駅に到着する。プラットフォームには、この満員の車両にはおよそ収容しきれないほどの人々が列を成して待機している。しかし、私の不安をよそに多くの人が電車を降りたので、待っていた人たちはぴったり車両に収まった。これがプラスマイナスゼロというやつか。日常生活に数学的(数学的?)要素が不意に飛び込んでくるのは、ちょっとしたアハ体験のようで興奮する。解の変わらぬ長い長い数式は、再びガタンゴトンと動き出す。

 

ずいぶん長い時間ガタンゴトンと走っているようだが、なかなか次の駅に着かない。どうやら前をゆく鈍行列車に合わせて、速度を緩めたりしながら進んでいるらしい。大して面白いネット記事も見当たらずスマートフォンから顔を上げると、目の前にカンカン帽を被った青年が扉にもたれかかるようにして立っていた。おお、あれは、ずいぶん昔に流行っていたような。最近めっきり見なくなった気がしていたので、学生時代の友人に久々にばったり出くわしたような趣を感じてしまう。気になって調べてみると、なんと2021年7月の記事に『夏のトレンド《カンカン帽》コーデ』とあり、面食らう。え、去年もカンカン帽、トレンドだったのか。それにしては見かけた記憶がない。わりと街中に住んでいるつもりだったのだが、所詮は地方都市ということか、と妙に悔しくなる。にしても、その彼はトレンドを取り入れるという形でカンカン帽を被っていたのだろうか。服はというとシンプルな黒一色の開襟シャツにグレーの長ズボンという出立ちで、似合っているようにもそうでないようにも見えた。ただ、流行していようがいまいが、夏の装いとしてカンカン帽は少なくとも適切であることに疑う余地はなく、何もおかしくはないのであった。そのことに気づかせてくれたお礼を言うべきかと逡巡している間に電車は停まり、彼はその駅で降りていった。

 

車内アナウンスが流れる。

「〇〇駅でお客さまがホームから転落し、その救出作業のため、電車は13分遅れで運行しております。お客様におかれましては、お急ぎ、またお疲れのところ大変ご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解ご容赦のほどお願い申し上げます。」

そう言われてみれば、確かに自分は疲れているのかもしれないと気づく。仕事に、人間関係に、或いは加齢による身体的/精神的な衰えに。お急ぎに対しては確かに迷惑被っているが、いまや日本の電車は乗客の疲労具合にまで気を遣ってくれているのか。一億総お疲れ社会だものなあ、ホームから転落したお客様は明日の私かもしれない。だが、私のお疲れにまで責任を感じてくれるな、私の疲れは私がすべて引き受けるのだ。

 

立っている斜め向かいの席が空いたが、正面にいた男性がサッと座った。これはまあ、当然のことで、仕方がない。と思いきや、すぐに立ち上がった。何やら隣の女性に席を譲ろうとしているらしい。しかし、女性も咄嗟に遠慮してしまった。男性も立ち上がってしまった手前、もう座ることはできない。彼らの目の前には空席がひとつ、ぽつねんと取り残されている。側から見ればそのとおりなのだが、私にははっきりと、その席に「通じ合わなかった思いやり」が鎮座しているのが見えていて、そのことに静かに感動していた。きっと男性は断られてしまうことなど念頭になく善意で行動し、女性はまさか男性が立ち尽くしてしまうとは予想だにせず、ただ断ったのだろう。一部始終を見届けた私には、そのお尻の遣り場のなさや申し訳なさが痛いほどに伝わってくる。そして、この事象を知ってしまった私は、これまでにも幾度となく見てきた、電車の「不自然な空席」を思い起こさずにはいられない。今、あの瞬間瞬間を振り返ると、空席たちがなんと雄弁に語りかけてくることか。ここに、通じ合えなかった優しさや思いやりの残滓が確かにあるんですよ、と、声なき声が今なら聞こえる。次の駅で女性は電車を降りていった。一駅で降りるから、ということでもあったのだろう。実に理にかなった、真心からの遠慮だったのだ。男性はそれでもやはり、どこか居心地悪そうな面持ちではあったが、目の前の空席に腰をおろした。あなたは間違っていないよと彼の肩を叩く代わりに、私はこの後最寄駅の改札でタッチするだろうIC乗車券の心許ない残高に想いを馳せている。