名前を知らない感情に名前をつける行為

この前リリースされたTHE 1975のアルバム『A Brief Inquiry Into Online Relationships』がとても良い。

耽美的なメロディや全曲通して感じられる躁鬱綯交ぜになったようなポップネスは、年末特有の高揚感とある種の諦観(「来年から頑張ろう」みたいな)にシンクロするところがあるような気がする。
そういえば今年のはじめに「レビュー記事」的なものも書いてみようとか言ってたのに、結局『勝手にふるえてろ』の感想文しか書いていない。メディアのレビュー記事によくある「◯曲目の××は◼️◼️の影響を色濃く受けている」みたいな情報、自分の知識が浅すぎてとても書けない。個人的にはそんな情報より、「◯曲目を聴いていると無意識のうちにいつもの発泡酒ではなく、いつかどこかの道の駅で買った(ちょっと高かった)地ビールに手が伸びていた」みたいな感想のほうが知りたい。

1泊だけではあるが3、4ヶ月ぶりに実家に帰省した。大都市と大都市に挟まれた1ベッドタウンなので特別目新しい変化もない。と思ったら、マンションの立体駐車場のエレベーターが9月の台風以降ずっと故障中になっているのだという。それだけの期間修理されないエレベーターなら、もう要らないのではないだろうか。大きな災害がもたらした小さな気づきだ。
父親とは未だに口を聞いていないが、以前のような殺伐とした空気感はずいぶん薄れた気がする。自分が過去を許せるようになったからか、シンプルに顔を合わせる機会が少なくなったからかはわからない。父親はマンションの自治団体の園芸理事になっていて、朝早く棟内の家庭を対象とした「チューリップの寄せ植え体験」の運営をした後、出張で東京に発った。

父親に対して自分が持っている感情に名前が付けられない。少なくともつい昨年までは、それには「憎悪」や「憤怒」といった名前が付いていたはずだったのだ。自分の目に父親は「身勝手で無責任、幼児退行したような中年男性」と映っていたし、父親は自分のことを「フラフラしていて怠惰な放蕩息子」と思っていた(たぶん第三者が見ても両者に同様の感想を抱くだろうな)。そもそも反りが合わないところに、ひとつの事件が勃発して殴り合いの喧嘩になった。以来、4〜5年ほどまともに口を聞いていない冷戦状態が続いている。
小休止に至ったのは、おそらくお互いにその緊張状態に疲れたことだったり、母親が何かと仲を取り持とうとしたことだったり、いろいろな要因があると思う。それを「時間が解決した」のひと言にまとめてしまうのは、些か乱暴である。

「エモい」という言葉の汎用性について、古語の「をかし」みたいなものなのだから批判するのはナンセンスだ、という旨のメンションをTwitterで目にした。なるほど、と思う一方で、「をかし」で表現しきれないいろいろな感情になんとか名前をつけたかった昔の人が、現在の口語に繋がるさまざまな言葉を生み出したのかも知れないな、と想像してしまった。人と人は完全にわかり合うことなどできないのだから、せめてこの名状しがたい感情だけでも名前をつけて共有したい、という風に。
僕は父親との関係についてのこの感情に名前をつけたいのだろうか。正直それも定かではない。だが、この感情を他者と共有するだけじゃなく、この感情と向き合う方法のひとつとして名前をつけてやるということも可能なのではないかとも思う。それにはまだもう少し時間がかかりそうなのだけれど。

実家から京都に戻る帰路、中高生の頃に好きだった近所に住んでいた女の子の家が綺麗さっぱり無くなり、売地になっているのを見つけた。この気持ちにもしばらく名前がつけられそうにないな、と思いながら、例えば泣いたりすることもできぬままに僕は駅へと向かった。


(追記)
そういえばこないだ友人が「自分の好きなものに理由のない奴は信頼できない」と言っていて、ふむ~~~~と思ってめちゃめちゃ長い鼻息が出てしまった。