醜悪のグルメ

冬になってから自炊する頻度が増えた。

と言っても包丁を握るのは週2~3回程度であり、その他は飲みに行ったりレトルトカレーや安売りのお惣菜で済ませたりといった具合である。節約意識とかそういうのもあるにはあるのだけれど、案外キッチンに立つことが嫌いではないらしい。これは実家にいるころには全く気づけなかったことで、けっこう驚いている。四半世紀生きていても、俺は自分のことをあんまりよくわかっていないのか、と思うと少し興奮する。

自炊をするうえでのあらゆる工程にも、あまり嫌なところが見当たらない。材料を買い揃えるにあたって、冷蔵庫に入っているものと組み合わせていかに効率よく消費していくか算段するのは面白いし、食材の値段を比較するためにスーパーや八百屋をはしごするぐらいの手間も厭わない。汚れた食器は溜めこみがちだが、まとめて一気に洗うことで爽快感を得られるだけの心のゆとりもある。これが毎日となると話は変わってくるんだろうけれど。

 

キッチンはとても小さく、洗い場も狭ければまな板を置くスペースも十分とは言いがたい。もちろん一口コンロである(「ひとくちこんろ」の視認性の悪さよ)。狭いキッチンで出来ることは限られており、一度に作れるメニューはひとつだけだ。お肉を焼いてみたり、丼ものを作ったり、麺類をゆでたりする。それに加えて作り置きしていたサラダとか、或いはパックのめかぶや納豆を食べて晩ごはんとする。使い勝手は悪いのだが、逆に自炊経験の浅い独身男性の身の丈に合った設計とも言える。キッチンのキャパシティが完全に僕の実力とマッチしているのだ。現状でアイランドキッチンなんか与えられたりしたら何をどうすればいいかわからず、無人島以上に孤独を味わうことになると思う。多分、シンクにケチャップでSOSとか書く。

食べるのは基本的に自分だからもう自分で言ってしまうのだけれど、味はまぁ普通に美味しいと思う(少なくとも自分好みの味にはなっている)。その代償に、とにかく見た目が終わっている。色味も悪ければ「盛り付け」という概念すらない。そんな自らの手で生み出してしまった哀しき料理(モンスター)たちに対してフランケンシュタイン博士のように非情になれない僕は、慈しみをもって「ブス飯」という名前を与える。見た目は悪くても中身はいい奴らなのだ。

(自分好みの)味以外にも、ブス飯のいいところはたくさんある。まず、ブス飯は無駄が省ける。「仕上げにパセリを添えて~」「パプリカパウダーを散らして~」といった、見た目に彩りを加える工程はすべて無視できる。なぜなら、パセリを添えようがパプリカパウダーを散らそうが、雨が降ろうが槍が降ろうがブス飯はブス飯なのだから。

また、ブス飯がブス飯たる所以の最たるものに「量がおかしい」というものがある。食材を使いまわすという高等技術を持たないため、買った物はなるべく一料理で使い切るというのがブスコックのポリシーである。その結果、異常に鶏肉が多い親子丼、水菜まみれの和風パスタ、麺を遥かに凌駕する大量の具材がブチ込まれた主役不明の煮込みうどん、といったブス飯たちが生成される。僕は食べものの味に飽きることを知らないので、うまいうまいと言い続けながら2〜3日に分けて彼らを消費することができるのもいいところだ。

さらに、ブス飯によってはタッパーに保管して友だちにあげることもできる。あまりよそ様にお出しできるようなビジュアルではないが、そもそも僕は信頼できる奴にしか哀れな我が子を預けるような真似はしない。また、客観的な感想を聞くことによって次なる自炊へのステップアップに、圧倒的成長につながる。僕は発作的に意識が高くなる。

 

正直、身長のわりにはあまり食べないし(基本的に1日2食)、食事に対する頓着もそれほど無いのだが、それでも自炊するのは「家でご飯を食べるよろこび」をめちゃくちゃ知っているからだ。

実家にいるころは、だいたい母親の作った料理を食べていた。大学に入ってからは外食の頻度も増え、社会人になってからは家でご飯を食べるのは平均週3日ほどだったと思う。しかし、僕は家のごはんが変わらず好きだった。母がふつうに料理が上手い部類に入るというのも、もちろんある。ただ、別に家族みんなで食卓を囲んで、というのが良かったわけではない。むしろ、仕事終わりに終電で帰宅した夜そろそろとリビングへ向かい、ラップのかけられたおかずをチンして食べるのが好きだった。一人だろうが複数人だろうが、外食はイベント性があって楽しい。一方、一日を家のごはんで締めるという行為には安心感がある。誰の目も気にせずに好きなペースで好きなように食べるごはんは、よろこびの味がするのだ。

 

いま、家のフライパンのなかには2日前に作ったサグカレーの残りが鎮座している。出来上がったとき、「これはまず『カレー』としての必要十分条件を満たしているのだろうか」と逡巡した(そもそも「出来上がった」の判断に迷った)。ほうれん草とからし菜を合わせて15ヮくらいひたすらみじん切りにして煮込みまくったと言えば、概要は想像がつくかもしれない。それがフライパンにこんもりである。食べるとまぁ、悪くはなかった。

カレーというのは面白いもので、大体なんでも2日目のほうがおいしくなるようだ。昨日改めて食べてみると、なんだか深みが増した気がする。今日食べ切る前に、パクチーを追加投入しようかなどと考えていると、帰る道中でそわそわしてくる。家では安心できるブスが、僕の帰りを待っている。

 

名前を知らない感情に名前をつける行為

この前リリースされたTHE 1975のアルバム『A Brief Inquiry Into Online Relationships』がとても良い。

耽美的なメロディや全曲通して感じられる躁鬱綯交ぜになったようなポップネスは、年末特有の高揚感とある種の諦観(「来年から頑張ろう」みたいな)にシンクロするところがあるような気がする。
そういえば今年のはじめに「レビュー記事」的なものも書いてみようとか言ってたのに、結局『勝手にふるえてろ』の感想文しか書いていない。メディアのレビュー記事によくある「◯曲目の××は◼️◼️の影響を色濃く受けている」みたいな情報、自分の知識が浅すぎてとても書けない。個人的にはそんな情報より、「◯曲目を聴いていると無意識のうちにいつもの発泡酒ではなく、いつかどこかの道の駅で買った(ちょっと高かった)地ビールに手が伸びていた」みたいな感想のほうが知りたい。

1泊だけではあるが3、4ヶ月ぶりに実家に帰省した。大都市と大都市に挟まれた1ベッドタウンなので特別目新しい変化もない。と思ったら、マンションの立体駐車場のエレベーターが9月の台風以降ずっと故障中になっているのだという。それだけの期間修理されないエレベーターなら、もう要らないのではないだろうか。大きな災害がもたらした小さな気づきだ。
父親とは未だに口を聞いていないが、以前のような殺伐とした空気感はずいぶん薄れた気がする。自分が過去を許せるようになったからか、シンプルに顔を合わせる機会が少なくなったからかはわからない。父親はマンションの自治団体の園芸理事になっていて、朝早く棟内の家庭を対象とした「チューリップの寄せ植え体験」の運営をした後、出張で東京に発った。

父親に対して自分が持っている感情に名前が付けられない。少なくともつい昨年までは、それには「憎悪」や「憤怒」といった名前が付いていたはずだったのだ。自分の目に父親は「身勝手で無責任、幼児退行したような中年男性」と映っていたし、父親は自分のことを「フラフラしていて怠惰な放蕩息子」と思っていた(たぶん第三者が見ても両者に同様の感想を抱くだろうな)。そもそも反りが合わないところに、ひとつの事件が勃発して殴り合いの喧嘩になった。以来、4〜5年ほどまともに口を聞いていない冷戦状態が続いている。
小休止に至ったのは、おそらくお互いにその緊張状態に疲れたことだったり、母親が何かと仲を取り持とうとしたことだったり、いろいろな要因があると思う。それを「時間が解決した」のひと言にまとめてしまうのは、些か乱暴である。

「エモい」という言葉の汎用性について、古語の「をかし」みたいなものなのだから批判するのはナンセンスだ、という旨のメンションをTwitterで目にした。なるほど、と思う一方で、「をかし」で表現しきれないいろいろな感情になんとか名前をつけたかった昔の人が、現在の口語に繋がるさまざまな言葉を生み出したのかも知れないな、と想像してしまった。人と人は完全にわかり合うことなどできないのだから、せめてこの名状しがたい感情だけでも名前をつけて共有したい、という風に。
僕は父親との関係についてのこの感情に名前をつけたいのだろうか。正直それも定かではない。だが、この感情を他者と共有するだけじゃなく、この感情と向き合う方法のひとつとして名前をつけてやるということも可能なのではないかとも思う。それにはまだもう少し時間がかかりそうなのだけれど。

実家から京都に戻る帰路、中高生の頃に好きだった近所に住んでいた女の子の家が綺麗さっぱり無くなり、売地になっているのを見つけた。この気持ちにもしばらく名前がつけられそうにないな、と思いながら、例えば泣いたりすることもできぬままに僕は駅へと向かった。


(追記)
そういえばこないだ友人が「自分の好きなものに理由のない奴は信頼できない」と言っていて、ふむ~~~~と思ってめちゃめちゃ長い鼻息が出てしまった。

私が読みはじめた彼女は

ここ最近、デイリーポータルZのライターである古賀及子さんのブログを読んでは嫉妬している。

mabatakiwosurukarada.hatenablog.com

子どもたちに見たことがない商品を探させるが持ってくるのを見るとことごとく私は知っており大人と子どもの見聞の広さの違いを実感した。

子どもたちは、自分が知らない商品をしかし私は知っていることを特に気に病む様子がないのでよかった。

私は小学3年生のとき、もう小学3年生なのに自分が何も知らないのを恥ずかしいと思ったのを覚えている。

知らないことはいつでもこれから知ればいいだけなので恐れることはない。

ここ数日でいちばん好きな記事のいちばん好きな箇所。母親のまなざしは、25歳男性には持ち得ぬ視点だ。逆もまた真なり、とも思うのだが、「25歳男性特有の視点」って何なんだ。僕が持ちうる固有の視点など「身長186cmからの視点」ぐらいしかない。

 

常々、女性の書く文章はピントの合わせ方が上手いという風に考えているのだけれど、彼女のブログのせいで一層その認識を強くしてしまう。文章における「面白さ」って例えば、笑いのネタの勢いだとか、台詞回しのユニークさとか、創作ものであれば物語を展開させる想像力とかいろいろあって、それぞれに特化した書き手は男女問わずいるんだけど、「日常を切り取る着眼点」みたいなものに優れた人はやはり女性のほうが多いような気がする。もちろん、あくまで個人の実感だ。前述の古賀さんもそうだし、『冷凍都市でも死なない』の「渋いギャル」こと郷田いろはさんや、『はい哲学科研究室です』の永井玲衣さんもすごい。


nagairei.hateblo.jp

時折読み返してはうわ言のように「ぁ…うあぁ……」と呻いている。なんなんだ、この文章たちは。
たぶん、そこに男女の性別を持ち込むこと自体ナンセンスなのだろう。だが、なんとなく昔から、小説に関しても女性のほうが好きな作家さんが多かった。恩田陸にはじまり小川洋子川上弘美山田詠美山崎ナオコーラ三浦しをん川上未映子津村記久子綿矢りさ……。もちろん好きな男性作家も数多くいるのだが、か細い指先でつつつ、と琴線をなぞっていたかと思えば勢い、虹村億泰のザ・ハンドよろしく「ガオン」という効果音とともに心の臓を削り取られるようなあの感覚は、彼女たちの文章でしか得られないものである。それらは、奇を衒った洒脱な文体以上に、不思議な色気に満ちている。

好きな女性作家にその名を挙げた山崎ナオコーラさんは確か、自身のエッセイ小説『指先からソーダ』で「書店の棚で本の並び方が、出版社別になっていることや作家の五十音順に並んでいるのはわかるが、男性作家と女性作家で区別されるのだけは意味がわからないしやめてほしい」という旨のことを書いていた(はず)。そりゃそうだ、と思う(そもそもそんな並びをあまり見たことがない)一方で、男性と女性が書く文章は明らかに纏っている空気が違うとも思っている。だが、山崎ナオコーラさんは自分の作品にも「女性が書いたもの」という目線を持ち込まれたくはない、と言っている(書いている)。書き手からするとそういうものなのかもしれないが、一ファンとしてそれは難しいことだなと頭を抱えている。登場人物の言動、心象描写、風景の切り取り方にも書き手の性差は否応なしに出てしまうものなのではないだろうか。もちろん、読んでいる最中にそれを意識することは基本的にないのだが、やっぱり、男性にしか書けない文章、女性にしか書けない文章はそれぞれ在ると思う。

 

しかし、よくよく考えてみれば、女性たちは「文章を書く」ことについて男性よりも慣れ親しんできているんじゃないだろうか。彼女たちが授業中にめちゃくちゃ緻密に折りたたまれた手紙を回していたり、尋常じゃない速度で携帯のメールを打ち込んだりするさまを、僕ら男子は目の当たりにしてきているではないか。キモがられないように嫌われないようにと推敲に推敲を重ねた気持ち悪いメールを送った直後に絶妙な長文メールが返ってくると、もしかして迷惑メールに誤送信して自動返信が返って来たのか?と慌てたりしていた。

男子と女子のメールの場合、男子があーでもないこーでもないと返信にもたついている間に彼女たちはどういう文面が来るか予想して——ある程度汎用性の高いテンプレート的な——メールを用意していたのかもしれない。しかし、女子同士のメールだとどうだろう。想像の範囲でしかないが、それはもうセレーナとビーナスのウィリアムズ姉妹対決ばりの高速ラリーが繰り広げられていたのではなかろうか。

ここで培われる能力はきっと、文章力など以上に観察力なのだろう。よくもまぁそんなにも書くことがあるな、と感心するが、見過ごしてしまいそうな日常の些末な物事を掬いあげて言葉にする行為は、まさに永井さんの言うとおり「世界を適切に保存すること」だ。そもそも、その行為を表す「世界を適切に保存する」というどこかたどたどしくも生真面目な表現そのものが素敵だ。

 

本当は僕の日常にだって、魂が小さく震えるような瞬間がたくさんあるのだ。その尊さというか愛おしさというか、もっと言えばそれを「失いたくない」という気持ちが薄れていたような気がする。自分が見聞きしたもの、経験・思考したことをもっと大事にしていかないとな。「自分の感受性くらい、自分で守れ。ばかものよ」と叱責してくれるのもやはり、一人の偉大な(女性)作家である。そして、「感受性を守る」というその作業は、自身の中にある文章の性差における劣等感を脱ぎ捨てるところから始まるのかもしれない。

21世紀の(日照らない)都に雨が降る

京都のよく行く喫茶店に久々に来ている。「よく行く」のか「久々」なのかよくわからない状況ではあるが、そんなことはどうでも吉田類。いつも腰掛けるテーブル席に通され、コーヒーを注文する。カップの中の液体が空になり、タバコを3本消す間に、4人掛けのテーブル席には様々な人々が座り、コーヒーを飲み、席を立つ。明日行くボロフェスタに出演するバンドのドラマーさんとぽつぽつ言葉を交わして、ライブへの楽しみを増幅させる。

雨足が強まってきた。隣には若い男女が向かい合わせで座っている。男が延々、コーヒーについての講釈を垂れている。彼が着ている黒いタートルネックや褪せたジーンズやボロいスニーカーも相まって、とても芳ばしい。舌ったらずの女にジッポーの仕組みを解説している。まるで、ジョブズiPhoneの新作を発表する時のように饒舌である。俺は愚かで腹が減っているので、ハンバーガーが食べたくなる。

村上春樹の『遠い太鼓』を読んでいる。ひとり村上春樹を喫茶店で読むという行為の芳ばしさを隠すようにしてブックカバーを付けている。しかしこの小説(旅行記/日記)の面白さはすごい。奥さんの口ぶりは村上フィルターを通して、どうしても緑や208、209、青豆で再生されてしまう。或いは、彼女たちの口ぶりが村上夫人に寄っているのか。どちらでもいい。

東京の友人たちからテレビ電話がかかってくる。彼女たちが京都に帰ってきたらば、僕のIQは100下がるだろうな、と思う。一人で喫茶店にいるというのに、テレビ電話で話す。ずっとわーきゃー言っているだけで、会話にならない。愛おしいが、狂っている。

近々大学時代の親友が結婚する。彼女の彼氏(旦那さん)には一度会っているが、びっくりするほどの好青年で、本当にびっくりした。会う前にどんな人なのか聞くと「ずっとニコニコしてる」と言っていたが、しっかりニコニコしていたし、彼女もニコニコしていた。とても幸せそうで良かったなぁと心底思った。末長くニコニコ過ごしてほしい。

ずいぶん混んできた。グラスの水も無くなってしまった。雨は止まないが、濡れ細った街が綺麗なので外に出てみようと思う。

夏の闖入者、或いは檀れいの狂気性について

真夏のピークが去った。

 

そんな歌い出しの曲を聴く間もなく、コンビニのビールの棚が赤黄色に染まり始めた。季節の移ろいを冷ケースの前で感じるというのは酒飲み特有の風情かもしれないな、と思いながら隣の棚の99.99に手を伸ばす。サッポロのチューハイ事業部に乾杯。

 

 

 



 

あの京都特有のねちっこく尾を引く暑さもどこへやら、僕は寝冷えして鼻をぐずらせ、老いた犬のような空咳で喉を嗄らしている。川床にもビアガーデンにも花火大会にも行かなかったが、季節は異常気象と共に訪れ異常気象と共に過ぎ去っていった。七月も八月も九月も、むせ返るような草いきれの残り香だけをあとにして遥か後方へ見えなくなった。「平成最後の夏」なんていう「分離派の夏」に遠く及ばぬクソヌルいキャッチコピーがつけられた今年の夏に、何か特別なことができたのかというとまあ、そんなこともない。ひと夏で二回徳島に行ったり(阿波踊りは本当に素晴らしかった)、夜通しでバチェラーを見たり(あんきらは本当にかわいかった)、川遊びをしたり(ZOZOスーツは本当はSWIMスーツだった)、そりゃあ普段より浮かれて過ごしたわけではあるが、そのひとつひとつが自分の人生に何か大きな影響をもたらす糧になったかと訊かれれば、答えはNOだ。刺激は一過性で、良くも悪くも後遺症はない。非日常だって結局、日常の延長線上にある。

だというのに僕はまだ、興奮が冷めやらないでいる。次の季節がやって来たというのに、未だに頬を上気させ、肩で息をしている。それはおそらく、夏の闖入者たちのせいなのだ。

 

社会人というのは、一般的になかなか友達ができないものらしい。試みに、検索窓に「社会人 友達」と入力すると、二番目に「社会人 友達いない」との予測ワードが出てくる(一番目の「社会人 友達づくり」はより具体的な方策を求めている感があり、切迫した状況にあることがうかがい知れる)。自分自身、飲み屋で初めて知り合った人と仲良くなることはしばしばあったもののそれっきりになることも多く、密に「友達」と呼び合えるような関係にまで仲が深まることは少なかった。はずだったのである。

 三条京阪駅からほど近くの路地裏にある珍妙なカフェバーに入り浸るようになるうちに、あれよあれよと知り合いが増えていった。知り合いはやがて友達になり、友だちは新たな知り合いを呼び、その知り合いがまた友達になった。んん?友達ってこんなにサクサク増えるもんだっけ??

 

<先輩/後輩>のような、暗黙のうちに互いが了承しあう明確な関係性がある相手とのコミュニケーション能力を研ぎ澄ませていった結果、会話における「構文」が存在しない<初対面の同年代>が苦手だと自覚したのは大学生になったばかりの頃だったと思う。自分の高校からは一人しかこの大学に進学しないということは知りつつも、てやんでぇこちとら生粋の転勤族、対ストレンジャー的視線には慣れっこでぇと高を括っていた。

大学は僕の想像以上に広かった。こんなにたくさんの人間がいるのに、どこにも知った顔がない。そしてすぐに自分の誤りに気がついた。高校のように固定のクラスがない大学において、ほとんどの交友関係は流動的であり、あらゆる授業でほとんどの人間は初対面なのだ。つまり、完成したコミュニティに放り込まれることによって何の努力もなしに好奇の視線を独占できるあの「スター状態」が訪れないのである。サークルというコミュニティに飛び込むことで、先輩たちに可愛がってもらい難を逃れることができたが、以来見知らぬ同年代への恐怖心が拭えずにいた。都会(まち)の人ごみ肩がぶつかってひとりぼっち……笑いかけても誰にも届かない、微笑みの不発弾である。

 

 

 

珍妙なカフェバーで仲良くなれた人びとは皆、純粋に変な人たちだった。メンツだかめんつゆだか知らんが「今日濃すぎww」みたいな歪んだ友達讃歌に興じたいわけではない。血液が10倍濃縮のめんつゆなんじゃないかと勘繰りたくなるぐらい、ただただ「変な人」たちなのだ。ただ全員に共通して言えることは、圧倒的に「我」を出すことである。好きなものは好き!おもしろいものはおもしろい!知りたいものは知りたい!という普遍的な好奇心を360°全方位にぐ~んと伸ばしており、そのメンタルを具現化すればおそらくアルゼンチンの国旗の真ん中のヤツに等しい造形になる。

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周りがそんな人たちばかりだから、ノセられてついついこちらも「我」を出したくなる。それが例え人様にお見せするほどの「我」ではないとしても、だ。同じアホなら踊らにゃソンソン的なAWA VIBESである。卵が先か鶏が先かみたいな話だが、環境と自分は相互関係的に変わっていく。間違いなくきっかけは京都に住み始めたことだし、そのきっかけをつくったのは自分自身の変化とも言える。

9月の終わりも終わり、その変な友達のひとりと飲み歩き、今年の夏のアブノーマルっぷりについて振り返った。後半にかけてほかの変な友達とばったりエンカウントを果たしたことなどで盛り上がり、何を話したのかとかはあまり覚えていないのだが、檀れいが出てくる一見微笑ましいCMから醸し出される狂気についての話でふわっと盛り上がって、不覚にも平成の終わりやなぁ~~とダサい感傷に浸ったのだけ記憶にこびりついて嫌な気持ちである。

 

変化した自分自身と変化した環境とに両手を引かれ、今まで見たことのないもの、聴いたことのないもの、行ったことのないところに触れられた(見なくていいもの、聴かなくていいもの、行かなくていいところもあったのかも知れない。だが、僕がそれについて正確な判断を下せるようになるのはまだ少し先のことだ)。それは長く短い祭りのようなものだった。遠くで珍妙なお囃子が聴こえるのは、きっと耳鳴りに違いない。

今死んでしまったとしたら、走馬燈がほとんどこの夏のハイライトで埋め尽くされてしまう恐れがある。来年はもうちょっとチル重視の夏を過ごそうか。その中で少しの狂気を感じられるような、ひと言で言うなら……そう、「金麦の夏」を。

 

 

ミュージック・キル・ユー!!

洗濯を終えて煙草を吸いながら缶ビールを飲んでいると、iTunesのシャッフルからCHARAの『あいのうた』が流れてきて、飲んでいた缶ビールの味が一気に濃くなってしまった。思わず友人からもらったミラーボールをつけてしまう。部屋が一気にメロウになる。ビールがさらに濃くなる。発泡酒のはずなのに、もはや麦芽をそのままバリボリ食ってるかのように、舌が錯覚してしまう。麦芽の食感を表す擬音語として「バリボリ」が適当なのか否か、僕は知らない。

上を見ればキリがないし、そもそも比べるものでもないのだが、まぁそこそこというレベルで音楽が好きだ。いろいろなジャンルのものを聴くほうだし、月並みな表現ではあるが音楽なるものに「救われた」経験もある。ひと夏で300回ぐらいチャットモンチーの『demo、恋はサーカス』を聴いたりしたこともある。この場合、「救われた」というより「殺された」と言うべきかもしれない。
「音楽の効能」なんて言うと大げさかもしれないけれど、音楽のおかげで友達が出来たり、人生における何気無いワンシーンが色を持つようになったり、まぁなんにせよ全く音楽に興味を持たないような状態よりも豊かな日々を送ることができているように思う。こういう思想は感覚的で必ずしも万人に当てはまるものではないし、興味がない人からすれば全く共感を得られるものではないのだろうが、元ゆらゆら帝国のフロントマンである坂本慎太郎は、タワーレコードの『NO MUSIC, NO LIFE?』ポスターで「音楽は役に立たない。役に立たないから素晴らしい。役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい。」という言葉を残していて、「役に立たないから(こそ)素晴らしい」という感覚だけは人間が持ちうるひとつの真理なんじゃないかという気がしている。
こうした感覚はたとえばさっきまで吸っていた煙草にも言えることで、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユは「喫煙」という行為について、著書で以下のような記述をしている(ちなみにこれはceroのあらぴーの受け売りであり、僕のアカデミズムではない)。

「(前略)喫煙する者は、周囲の事物と一体になる。空、雲、光などの事物と一体になるのだ。喫煙者がそのことを知っているかどうかは重要ではない。煙草をふかすことで、人は一瞬だけ、行動する必要性から解放される。喫煙することで、人は仕事をしながらでも<生きる>ことを味わうのである。口からゆるやかに漏れる煙は、人々の生活に、雲と同じような自由と怠惰をあたえるのだ」

バタイユ 中山元訳 『呪われた部分 有用性の限界』 (2003) ちくま学芸文庫 p131~p132)


ある種語り尽くされているであろうこうした話はどうでもよくて、そんなことよりも「自分のお葬式で流したい曲」という面白いトピックがある。参列者が聴くばかりで、死を迎えた自分自身は聴くことができない、という場において自分がかけたい音楽に想いを馳せることは、たとえば「結婚式で流したい曲」を考えるよりもロマンチックであるように思える。
死ぬこととはまさに人生を終えること。その最期、人が自分の死を悼むとき、その空間を埋める「役に立たないもの」。それは口から漏れ出る紫煙のように、葬儀場の空間に満ちてゆくのだ。その音楽に想いを巡らせる。なんと自由で怠惰な時間だろう。

『あいのうた』、悪くないよなぁ。でもやっぱ、くるりの『ハローグッバイ』だなぁ。

さよなら三角、またきて七月

うかうかしていたらもう7月である。

すなわち、まる2ヶ月ブログをサボっていたということになる。サボタージュを生業とするサボリジニに成り果てているうちに、京都はじりじり熱気と湿気を蓄えており、気づけばクーラーのリモコンに手が伸びてしまうような季節になっていた。ちょっと前まで春の夜長がどうだのこうだのとほざいていたというのに。「うかうか」は人の時間感覚を狂わす非常に危険な状態であるということを学んだ(前回の投稿で発令された「自宅での単独飲酒に限り禁酒令」も、うかうかしているうちに反故にしてしまった)。

 

思い出したようにこうしてブログを書いているのは、ワールドカップの影響でもなければ歌丸師匠がお亡くなりになったからでもない(笑点メンバーでは小遊三師匠に次いで好きでした。合掌)。

京都に居を移して早くも5ヶ月が経とうとしている。当然と言えば当然だが、身の周りの環境がめちゃくちゃに変わっている。新しい友だちが何人かできたり、長い付き合いになる友人たちもいろいろと状況が変わったりしている。ようやく人生四半世紀目を迎えているわけだが、こんな落ち着きのない感じで大丈夫だろうか。そんな不安に襲われるときには必ず、心の中の川平慈英が「い~いんですッ!!ク~~ッ」と言い切ってくれるので僕はなんとか正気を保てている。とにもかくにもそれはそれで、(健康や生活力を切り売りしながら)面白おかしく過ごしている。

そんな折にふと、身体と時間は誰しも等しく有限だということに気づくのである。誰かといる時間が長くなると、必然的に他の誰かといる時間が短くなる。自分の世界を広げることは、世界の密度が薄く引き延ばされることのようにも思える。

 

昔、大学の先輩が「好きなもので繋がる人よりも嫌いなものが同じ人のほうが、付き合いが長く続く」と言っていたのを、ときどき思い出す。

同時に、それを聞いたときに、すごく「嫌だな」と思った記憶も蘇る。そのときの「嫌だな」は「そんなの嫌だな」であり、「瞬間的に『そうかも』と思ってしまった自分が嫌だな」でもあった。思い出すたびになんとなく、柑橘系の皮付近の苦いところによく似た後味の悪さが口に広がる。自分の意識下にこびりついた、呪いのようなものなのかもしれない。 

 

嫌いなものを共有することは、 後ろめたさを分け合うことだと思う。

何かを嫌うというネガティヴな感情を、「わたしも」と互いに持ち寄り確認しあい、優しく微笑み合うことは、ひとつの秘密の共有であり、危うい甘美さに溢れている。「罪」と名付けるには些か大げさであるが、ふたりを繋ぐその絆は一種の「共犯意識」と呼んでもよいのではないか。

友人関係にせよ恋愛関係にせよ、人と人とが関わりを持ち、それを長く続けることは確かに難しいのかもしれない。PUNPEEは『お嫁においで2015』で結婚について「紙切れに人生を簡単に契約するなんて…」というラインを書いたが、そんな頼りない書類一枚さえ介さない友情・愛情による繋がりというものは、よくよく考えてみればひどく曖昧な口約束のようにも思える。そういう意味では、件の先輩が「楽しみを持ち寄る関係」よりも「負の感情を分かち合う共同体」の方が離れにくいと言うのも、少なからず理解できる。そしてそれは、「離れられないしがらみ」と言ったほうが正確なんじゃないかとも想像している。

 

こういう心的な距離感を言い表すのは難しいのだが、自分の場合「またね」と言いたくなる人が身の周りに多い。「つかず離れず」というのとも違う気がする。収まりのいい言葉は見つからない。ただ、明日かひと月後か、はたまた何年後かはわからないが、朝日のように、季節のように、或いはハレー彗星のように、「またね」の「また」が必ず来るだろうという根拠のない確信が持てる相手がたくさんいる。実際に再会して飲んだり話したりできることと同じくらい、明確に約束するでもなく「今度遊ぼう」とか言い合える人々がいるということはけっこう幸福だ。

偶然にもこの7月は、そんな「また」が重なるひと月になる予定だ。かと言って、全然特別感のない再会である。ましてや天の川を隔てた人たちのようなロマンチックなものなどではない。まあ、どうせきっと楽しい話をするのだろう。次に会うのがいつになるのかわからなくても、僕は「またね」と別れたいのだ。